ほんこうじ
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楽しみ方本光寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月17日(水) 07時25分39秒
参拝:2026年6月吉日
幸田町にある本光寺、通称あじさい寺を訪れました。
朝早くに、着いたつもりでしたが、すでにたくさんのカメラマンが撮影をしていました。しかも、モデルさん付で。参詣の方々は、ほとんど一眼レフカメラをもっていました。
朝早くに、着いたつもりでしたが、すでにたくさんのカメラマンが撮影をしていました。しかも、モデルさん付で。参詣の方々は、ほとんど一眼レフカメラをもっていました。

JR三ヶ根駅を降りて、あじさいの道を真っ直ぐ行くと本光寺はあります。

あじさいの参道



本堂

本堂

肖影堂山門

肖影堂(赤堂) 寛文12年(1672)建立

松平忠利、(忍城主、西郡城主、吉田城主)の冠衣木像安置

願掛け亀 寛文12年(1672)建立。
六代目福知山城主忠房が領民のため10年がかりで作られた。
六代目福知山城主忠房が領民のため10年がかりで作られた。

参拝者の願いを聞きかなえるため、大きな耳がついている。亀のエリ首(ヘコミ)にサイ銭が入ると願いがかなえられ、万年幸せとなる。

四代家忠公、三代伊忠公、二代好景公、初代忠定公

十一代忠恕公廟

花手水

松平好房公廟

稲荷堂

地蔵堂

地蔵堂内

観音堂

東御廟所入口

東御廟所参道

東御廟所山門

東御廟所 深溝松平家6代~19代
すべてのお墓を同じ神殿型で統一
深溝松平家の九州島原城での役目は、長崎港監視と、 九州諸大名の監視であった。
代々の殿様が亡くなると島原本光寺で戒名をつけ御遺体船で蒲郡まで運び、行列を整えてここに入られた。 先祖発祥の地に葬ることが家伝であったそうな。
すべてのお墓を同じ神殿型で統一
深溝松平家の九州島原城での役目は、長崎港監視と、 九州諸大名の監視であった。
代々の殿様が亡くなると島原本光寺で戒名をつけ御遺体船で蒲郡まで運び、行列を整えてここに入られた。 先祖発祥の地に葬ることが家伝であったそうな。

七代忠雄、永春院(忠房正室)、六代忠房



梵鐘(指定文化財)
寛永6年(1629) 徳川三代将軍家光公の勅命助成により、日本の平和、国民の厄難消除を願って、吉田城主松平忠利公が金、銀、銅にて鋳造、鐘には、徳川家康公、家光公の名が記載されているという。
寛永6年(1629) 徳川三代将軍家光公の勅命助成により、日本の平和、国民の厄難消除を願って、吉田城主松平忠利公が金、銀、銅にて鋳造、鐘には、徳川家康公、家光公の名が記載されているという。

つるべ井戸

すてき
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