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楽しみ方福寿院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月11日(土) 22時06分54秒
参拝:2026年3月吉日
福寿院は神戸市兵庫区にあるお寺です。
Googleマップで兵庫区を見ていたら 山の中にぽつんとお寺を発見しました。
町中散策も良いですが 先日は崖の上のお寺を参拝未遂したこともあり 急にやる気が出てきました。
とりあえずいちばん近いであろうコインパーキングに車を停めて そこから妻と二人で歩きました。
三月末で桜が咲き始めていて さながらハイキングです。
この山にはひよどり展望公園があり こちらにハイキングに行かれる方は多いようです。
手すりには福寿院への案内がありました。
山に入ってしばらくは整えられた道がありました。
300mほどでしたが山道を歩き そろそろお寺か?と思ったら まるで城郭のような石積みがありました。
今までも見たことはありますが 兵庫区のこんな山にあるのは驚きです。
石段を上がると境内でした。
上がってすぐ右手に朱色の鐘楼が。
朱色って珍しくないですか?
一撞き10円でしたので撞かせていただきました。
いい音。
高野山奥ノ院遙拝塔もありました。
昭和二年の電気工事記念碑もありました。
佛殿の前には観音様がいらっしゃいました。
石仏がいくつもありました。
兵神菊水講と書かれていますが おそらく毘沙門天様だと思われる像もありました。
石段を上がった左手にはお休み処と思われる建物もありました。
手水の横には由緒書があり
明治末年の湊川改修工事の砌 川底より掘出された石仏を貰い受けられた開山和尚(徳順尼)が 下沢通あたりでお祀りされていたところ 仏様が夢枕に立ち「なむだいし いのるこころの もろびとの二世のねがいをかなえたまふとの歌とともに鵯越のこれこれの場所に庵を建てて祀ってくれ」との仰せにより この山を開き祀ったという。
現在は奥の院にてお祀りされています。
とありました。
なるほど明治末期の開山ですね。
境内には他にも 修行大師像や五重塔もありました。
本堂はおそらく大正時代に建てられたものだと思いました。
覗いてみましたが ご本尊は拝顔できませんでした。
裏山に石の祠が見えましたので 登ってみました。
それが開山堂でした。
なるほどこちらが奥の院ですね。
川底から掘り出されたという石仏もありました。
漁師の網にかかった観音様という話は兵庫区ではよく聞くのですが 川底から掘り出されるというのは初めてです。
上塗りされていると思うのですが きれいな石仏でした。
山道はさらに続いていましたので 進んでみますと 境内社がありました。
残念ながらお祀りされている神様がどなたなのかは分かりませんでした。
まだ先が続いていました。
尾根に出ました。
予想通りハイキングコースのようです。
この尾根には 四国八十八か所巡りの祠が並んでいました。
中には 壊れてしまっているものや 番外のものもありました。
番号が分からないのもあって 八十八以上あると思いました。
一通り巡って本堂まで下りてきましたら ちょうどご住職がお戻りになられたところでした。
袈裟姿で山道を歩いておられました。
これは運が良い!御朱印をお願いしました。
ご住職はこちらにお住まいのようで 昔の話を聞かせてくださいました。
石積みは大正時代のもので 力夫がもっこのようなもので運んだそうです。
石は1つ数十キロあるそうで 登山道の入口の町「清水町」からは力夫が運んだそうです。
ご住職のお母さまがこちらに嫁がれた頃には 私たちが歩いてきた山道はそうとうなものだったようで 笹藪をかきわけて歩いたとのことでした。
まさに秘境ですね。
こちらの堂宇と裏山の石祠はすべて大正時代のものだそうで この山奥でこんなに保存状態が良いのは素晴らしいと思いました。
こちら福寿院は 神戸市が意地でも残していってほしいお寺でした。
Googleマップで兵庫区を見ていたら 山の中にぽつんとお寺を発見しました。
町中散策も良いですが 先日は崖の上のお寺を参拝未遂したこともあり 急にやる気が出てきました。
とりあえずいちばん近いであろうコインパーキングに車を停めて そこから妻と二人で歩きました。
三月末で桜が咲き始めていて さながらハイキングです。
この山にはひよどり展望公園があり こちらにハイキングに行かれる方は多いようです。
手すりには福寿院への案内がありました。
山に入ってしばらくは整えられた道がありました。
300mほどでしたが山道を歩き そろそろお寺か?と思ったら まるで城郭のような石積みがありました。
今までも見たことはありますが 兵庫区のこんな山にあるのは驚きです。
石段を上がると境内でした。
上がってすぐ右手に朱色の鐘楼が。
朱色って珍しくないですか?
一撞き10円でしたので撞かせていただきました。
いい音。
高野山奥ノ院遙拝塔もありました。
昭和二年の電気工事記念碑もありました。
佛殿の前には観音様がいらっしゃいました。
石仏がいくつもありました。
兵神菊水講と書かれていますが おそらく毘沙門天様だと思われる像もありました。
石段を上がった左手にはお休み処と思われる建物もありました。
手水の横には由緒書があり
明治末年の湊川改修工事の砌 川底より掘出された石仏を貰い受けられた開山和尚(徳順尼)が 下沢通あたりでお祀りされていたところ 仏様が夢枕に立ち「なむだいし いのるこころの もろびとの二世のねがいをかなえたまふとの歌とともに鵯越のこれこれの場所に庵を建てて祀ってくれ」との仰せにより この山を開き祀ったという。
現在は奥の院にてお祀りされています。
とありました。
なるほど明治末期の開山ですね。
境内には他にも 修行大師像や五重塔もありました。
本堂はおそらく大正時代に建てられたものだと思いました。
覗いてみましたが ご本尊は拝顔できませんでした。
裏山に石の祠が見えましたので 登ってみました。
それが開山堂でした。
なるほどこちらが奥の院ですね。
川底から掘り出されたという石仏もありました。
漁師の網にかかった観音様という話は兵庫区ではよく聞くのですが 川底から掘り出されるというのは初めてです。
上塗りされていると思うのですが きれいな石仏でした。
山道はさらに続いていましたので 進んでみますと 境内社がありました。
残念ながらお祀りされている神様がどなたなのかは分かりませんでした。
まだ先が続いていました。
尾根に出ました。
予想通りハイキングコースのようです。
この尾根には 四国八十八か所巡りの祠が並んでいました。
中には 壊れてしまっているものや 番外のものもありました。
番号が分からないのもあって 八十八以上あると思いました。
一通り巡って本堂まで下りてきましたら ちょうどご住職がお戻りになられたところでした。
袈裟姿で山道を歩いておられました。
これは運が良い!御朱印をお願いしました。
ご住職はこちらにお住まいのようで 昔の話を聞かせてくださいました。
石積みは大正時代のもので 力夫がもっこのようなもので運んだそうです。
石は1つ数十キロあるそうで 登山道の入口の町「清水町」からは力夫が運んだそうです。
ご住職のお母さまがこちらに嫁がれた頃には 私たちが歩いてきた山道はそうとうなものだったようで 笹藪をかきわけて歩いたとのことでした。
まさに秘境ですね。
こちらの堂宇と裏山の石祠はすべて大正時代のものだそうで この山奥でこんなに保存状態が良いのは素晴らしいと思いました。
こちら福寿院は 神戸市が意地でも残していってほしいお寺でした。

案内を見つけました

登り口に桜が咲いていました

最初のうちはこんな感じ

石垣ですか?

お城?

お寺であってた

寺号の石柱

鐘楼 朱色は珍しいかな

高野山奥ノ院 遙拝塔

電気工事記念碑 昭和二年ですって

佛殿と書いてあります

石仏が多いこと

兵神 菊水講 ??

お休み処かなぁ

由緒書

手水だと思います

修行大師像


賓摺大師

五重塔

掲示板もありました

本堂

大師開山堂

境内社なんだけど不明


尾根にある道標

第八十八番


第八十六番




第七十六番

番外薬師堂


七十五番

山の尾根沿いにいくつも

大師堂
すてき
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くるくるきよせん3359投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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