おほやまくひじんじゃ
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楽しみ方大山咋神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月07日(火) 20時45分08秒
参拝:2026年3月吉日
大山咋神社は神戸市兵庫区にある神社です。
兵庫区も北のエリアは山沿いということで アップダウンもあり坂道が急になります。
まるで古墳の様にこんもりとしたお山の麓にこちらの大山咋神社はあります。
ここら辺は 車がすれ違うことができないぐらいの細い道ばかりで 歩いて散策していてちょうど良かったです。
道から石段を上がった所に手水舎と社務所があり さらに石段を上がった所に本殿と境内社がありました。
社務所前に人がおられたので これは御朱印が頂けるかと思ったのですが 何やら打ち合わせのようで 割り込むのも失礼なので参拝だけにしました。
拝殿は とても古いというわけではないですが 良い感じの建物でした。
幣殿があって奥に本殿があるのですが 中の様子は見られませんでした。
主祭神は大山咋尊(オオヤマクイノミコト) 配祀神は素戔雄尊(スサノオノミコト)です。
境内には遙拝所の鳥居がありました。(方向あってるかな)
また 境内社が2つあって 一つは六社 もう一つは稲荷社だと思ったのですが 不明です。
六社は 太神宮社・金刀比羅神社・瑜神社・春日神社・寒神社・稲荷神社でした。
稲荷神社は豊国稲荷神社で 平成28年に遷座されたものでした。
御由緒には
創立年月不詳なるも第45代聖武天皇神亀年中(皇紀1384年)の勧請にて其の後治承年間(皇紀1837年)平清盛 福原遷都に際し五條大納言邦綱に雪御所鎮護のため再建造営なさしめたと伝えられ古くより日吉山王の社として崇敬されております
と書かれていました。
裏山が古墳のようだったので登ってみました。
崖崩れ防止が施されたコンクリの壁を登り 道なき道を進んだ先には 崩れ落ちた民家が2軒ありました。
しかし古墳だと示すものはありませんでした。
ネット情報です。
創立年は不詳であるが 聖武天皇の神亀年間(724~)に近江国日吉大社(滋賀県)より当地に勧請されたという。
その後 治承年間(1177~)に平清盛が 福原遷都に際し 雪御所鎮護のために 五条大納言邦綱に命じて再建造営させたと伝えられ 古くより 日吉山王の社として崇敬されている。
相殿の素盞雄尊は 石井村天王山上に古くより鎮座していたのを 大正五年に合祀した。
予てから神徳宣揚の目的として 氏子地区10ケ町の協賛を得て 「大山咋神社氏子奉賛会」を結成し 日々隆-昌発展を遂げている。
境内は232坪 御本殿は銅板茸流造2坪 幣殿は 銅板茸切妻造2坪 拝殿は銅板章入母屋造6坪から成る。
境内末社には 太神宮社 金刀比羅神社 瑜神社 春日神社 寒神社 稲荷神社の6社が鎮座している。
平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で 社頭多大なる被害を蒙むるも 氏子崇敬者の篤い信仰のもと すべて復興している。
兵庫区も北のエリアは山沿いということで アップダウンもあり坂道が急になります。
まるで古墳の様にこんもりとしたお山の麓にこちらの大山咋神社はあります。
ここら辺は 車がすれ違うことができないぐらいの細い道ばかりで 歩いて散策していてちょうど良かったです。
道から石段を上がった所に手水舎と社務所があり さらに石段を上がった所に本殿と境内社がありました。
社務所前に人がおられたので これは御朱印が頂けるかと思ったのですが 何やら打ち合わせのようで 割り込むのも失礼なので参拝だけにしました。
拝殿は とても古いというわけではないですが 良い感じの建物でした。
幣殿があって奥に本殿があるのですが 中の様子は見られませんでした。
主祭神は大山咋尊(オオヤマクイノミコト) 配祀神は素戔雄尊(スサノオノミコト)です。
境内には遙拝所の鳥居がありました。(方向あってるかな)
また 境内社が2つあって 一つは六社 もう一つは稲荷社だと思ったのですが 不明です。
六社は 太神宮社・金刀比羅神社・瑜神社・春日神社・寒神社・稲荷神社でした。
稲荷神社は豊国稲荷神社で 平成28年に遷座されたものでした。
御由緒には
創立年月不詳なるも第45代聖武天皇神亀年中(皇紀1384年)の勧請にて其の後治承年間(皇紀1837年)平清盛 福原遷都に際し五條大納言邦綱に雪御所鎮護のため再建造営なさしめたと伝えられ古くより日吉山王の社として崇敬されております
と書かれていました。
裏山が古墳のようだったので登ってみました。
崖崩れ防止が施されたコンクリの壁を登り 道なき道を進んだ先には 崩れ落ちた民家が2軒ありました。
しかし古墳だと示すものはありませんでした。
ネット情報です。
創立年は不詳であるが 聖武天皇の神亀年間(724~)に近江国日吉大社(滋賀県)より当地に勧請されたという。
その後 治承年間(1177~)に平清盛が 福原遷都に際し 雪御所鎮護のために 五条大納言邦綱に命じて再建造営させたと伝えられ 古くより 日吉山王の社として崇敬されている。
相殿の素盞雄尊は 石井村天王山上に古くより鎮座していたのを 大正五年に合祀した。
予てから神徳宣揚の目的として 氏子地区10ケ町の協賛を得て 「大山咋神社氏子奉賛会」を結成し 日々隆-昌発展を遂げている。
境内は232坪 御本殿は銅板茸流造2坪 幣殿は 銅板茸切妻造2坪 拝殿は銅板章入母屋造6坪から成る。
境内末社には 太神宮社 金刀比羅神社 瑜神社 春日神社 寒神社 稲荷神社の6社が鎮座している。
平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災で 社頭多大なる被害を蒙むるも 氏子崇敬者の篤い信仰のもと すべて復興している。
すてき
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くるくるきよせん3364投稿
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