すずかみょうじんしゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方鈴鹿明神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年03月01日(日) 20時40分05秒
参拝:2026年1月吉日
座間郷総鎮守の鈴鹿明神社にあがらせていただきました。
神社周辺は住宅や商業施設もありましたが、少し離れると田園風景が広がるとてものどかなところでした。
当初私が思っていたよりも大きな神社で少々驚きつつも、参道を進むと拝殿内ではちょうどご祈祷の真っ最中でした。
授与品や御朱印は社務所の建物内に入ったところに受付があり、そちらで御朱印をお願いしたところ、2Fの待合席を勧められました。
御朱印を待つ間もご祈祷の申し込みされて順番待ちをされる方がいらっしゃりました。
<御祭神>
伊邪那岐命
素戔鳴尊
<御由緒>~鈴鹿明神社HPより~
鈴鹿明神社は、遠く第29代欽明天皇の御代に創祀せられたという。伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。また天平年間にこの地は鈴鹿王の所領で土甘(とき)郷と言った(正倉院文書)ところから、時人が王の御名を冠して鈴鹿の字名が発祥したとも推察される。
鈴鹿明神社は、往古、東南西方平坦な水田で、その中央一丈余りの高所に、はるばる大洋を望むかの如く鎮座していた。境内は船の形をし、数十の樫の古木が繁茂し、参道中央に銀杏の大木があって、さながら船の帆の様であった。その遠景を人は「舟形の森」「樫の森」と呼んで親しんだが、今はその銀杏もなく、地形も変動して面影はない。しかし神社の地形が前方後円墳にも似るところから、昭和39年に社殿の東側草地を発掘したところ、1,500年以前の地下式住居跡(約7坪)が発見され、古代の祭祀遺跡埋蔵されている事も想起され、かすかに昔日をしのばせる。
神社周辺は住宅や商業施設もありましたが、少し離れると田園風景が広がるとてものどかなところでした。
当初私が思っていたよりも大きな神社で少々驚きつつも、参道を進むと拝殿内ではちょうどご祈祷の真っ最中でした。
授与品や御朱印は社務所の建物内に入ったところに受付があり、そちらで御朱印をお願いしたところ、2Fの待合席を勧められました。
御朱印を待つ間もご祈祷の申し込みされて順番待ちをされる方がいらっしゃりました。
<御祭神>
伊邪那岐命
素戔鳴尊
<御由緒>~鈴鹿明神社HPより~
鈴鹿明神社は、遠く第29代欽明天皇の御代に創祀せられたという。伝説によると、伊勢の鈴鹿郷の神社例祭に神輿が海上を渡御した折、にわかの暴風に襲われ、漂流して相模国入海の東峯に漂着した。里人が社を創立してこれを鎮守とし、鈴鹿大明神と崇め奉ったと伝えられている。また天平年間にこの地は鈴鹿王の所領で土甘(とき)郷と言った(正倉院文書)ところから、時人が王の御名を冠して鈴鹿の字名が発祥したとも推察される。
鈴鹿明神社は、往古、東南西方平坦な水田で、その中央一丈余りの高所に、はるばる大洋を望むかの如く鎮座していた。境内は船の形をし、数十の樫の古木が繁茂し、参道中央に銀杏の大木があって、さながら船の帆の様であった。その遠景を人は「舟形の森」「樫の森」と呼んで親しんだが、今はその銀杏もなく、地形も変動して面影はない。しかし神社の地形が前方後円墳にも似るところから、昭和39年に社殿の東側草地を発掘したところ、1,500年以前の地下式住居跡(約7坪)が発見され、古代の祭祀遺跡埋蔵されている事も想起され、かすかに昔日をしのばせる。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。






















