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楽しみ方洞泉寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月25日(月) 13時17分50秒
参拝:2024年11月吉日
美濃新四国八十八ヶ所霊場巡りの6寺目は、岐阜県山県市高富に在る宝林山 洞泉寺です。
先の5寺目の広厳寺とは目と鼻の先(約500m)。
臨済宗妙心寺派で、本尊は聖観音。
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第58番札所。
南北朝時代の南朝の武将・杉山義祐が根尾城で戦死し、その室が菩提を弔うために出家し、寺洞(現在の蛍ヶ丘)に玉洞庵を建立したのが始まり。やがて衰退し、1536年に洪水で流失。1600年に代官の山田六兵衛が田畑や屋敷を寄進し、淳岩禅師(大龍寺の中興開山)を招き、寺を日洞に移して洞泉寺と改めた。その後、本庄通章(5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院の異母兄・本庄道芳の孫)が高富藩主となり、菩提寺とした。
この辺りは田舎ですので、どの寺院も広めの駐車場があって助かります。
山門をくぐる前から本堂と庫裏が見えます。山門に近付くと読経が聞こえました。どうやら法事の様です。流石に、法事中に本堂の扉を開けるのは憚られるかなと庫裏の呼鈴を押した所、ご住職の奥様?が出てこられたので美濃新四国の御朱印をお願いしました。すると本堂に行かれて、座って朱印を押されている様子。少し経って戻って来られ、御朱印を頂戴しました。
従って、本堂内には入っておりませんので、堂内の様子はわかりません。また機会があれば訪れてみようと思います。
先の5寺目の広厳寺とは目と鼻の先(約500m)。
臨済宗妙心寺派で、本尊は聖観音。
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第58番札所。
南北朝時代の南朝の武将・杉山義祐が根尾城で戦死し、その室が菩提を弔うために出家し、寺洞(現在の蛍ヶ丘)に玉洞庵を建立したのが始まり。やがて衰退し、1536年に洪水で流失。1600年に代官の山田六兵衛が田畑や屋敷を寄進し、淳岩禅師(大龍寺の中興開山)を招き、寺を日洞に移して洞泉寺と改めた。その後、本庄通章(5代将軍・徳川綱吉の母・桂昌院の異母兄・本庄道芳の孫)が高富藩主となり、菩提寺とした。
この辺りは田舎ですので、どの寺院も広めの駐車場があって助かります。
山門をくぐる前から本堂と庫裏が見えます。山門に近付くと読経が聞こえました。どうやら法事の様です。流石に、法事中に本堂の扉を開けるのは憚られるかなと庫裏の呼鈴を押した所、ご住職の奥様?が出てこられたので美濃新四国の御朱印をお願いしました。すると本堂に行かれて、座って朱印を押されている様子。少し経って戻って来られ、御朱印を頂戴しました。
従って、本堂内には入っておりませんので、堂内の様子はわかりません。また機会があれば訪れてみようと思います。
すてき
投稿者のプロフィール

nomuten1427投稿
仏像の造形美に惹かれて、主に寺院に参拝しております。 御朱印収集はしておりませんが、あれば頂戴します。但し、お洒落な、手の込んだ限定御朱印などは余り頂戴しませんので悪しからずです。(限定御朱印は...もっと読む
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