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楽しみ方恒持神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月17日(日) 18時18分14秒
参拝:2024年11月吉日
秩父市山田に鎮座する恒持神社は「山田の春祭り」と呼ばれる"秩父に春を告げる祭り"で有名な神社になります。
創建については諸説あるようですが、東方に位置する丸山の一支峰である高斯野の山中の神沢と呼ばれる池で日本武尊が禊をしたことに由来し、高斯野社と号したことにはじまります。
社記によると関東平氏の祖とされる高望王の弟である「恒望王」は、大同元年(806)に武蔵権守に任ぜられ15の村を恒望荘とし、高斯野社を総社に定めたことから新木の里に移しました。恒望王が没すると里人は御霊を高斯野社に祀り、この時社号を恒望明神と改めたといいます。
明治5年に村社となり、同41年に西新木の丹生神社、中山田の丹生神社と稲荷社、五反田・谷津・古堂の諏訪社、山神社が合祀されました。
高斯野山の山頂にあった青少年野外活動センター付近には、龍神の石祠と水の枯れない池があり、恒望神社の奥社、または高斯野社跡地と伝えられここで雨乞いを行っていたとされています。
創建については諸説あるようですが、東方に位置する丸山の一支峰である高斯野の山中の神沢と呼ばれる池で日本武尊が禊をしたことに由来し、高斯野社と号したことにはじまります。
社記によると関東平氏の祖とされる高望王の弟である「恒望王」は、大同元年(806)に武蔵権守に任ぜられ15の村を恒望荘とし、高斯野社を総社に定めたことから新木の里に移しました。恒望王が没すると里人は御霊を高斯野社に祀り、この時社号を恒望明神と改めたといいます。
明治5年に村社となり、同41年に西新木の丹生神社、中山田の丹生神社と稲荷社、五反田・谷津・古堂の諏訪社、山神社が合祀されました。
高斯野山の山頂にあった青少年野外活動センター付近には、龍神の石祠と水の枯れない池があり、恒望神社の奥社、または高斯野社跡地と伝えられここで雨乞いを行っていたとされています。


バス停側の鳥居になります。

社殿は3社あり、中央は本殿で日本武尊・恒望王・罔象女神・大山祇命を祀り、内陣には「勅定・日本武尊高斯野社・恒望王」と刻した石があります。

こちらは、右側の旧西新木の丹生神社の社殿で織姫神社になります。
本殿の左側には旧中山田の丹生神社の社殿で稲荷神社があるのですが写真を撮り忘れました😭
本殿の左側には旧中山田の丹生神社の社殿で稲荷神社があるのですが写真を撮り忘れました😭


『恒持大明神』
いつ頃から"恒望"から"恒持"に変わったんですかね?
いつ頃から"恒望"から"恒持"に変わったんですかね?



諏訪神社。織姫神社の隣にあり、こちらは単独の社殿になります。

これは本殿の裏なのですが、3本の木が綺麗に横並びに立っていて意図的なものを感じました。

御由緒

例大祭について

神楽殿

手水舎

弁才天


すてき
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ひなぎく882投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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