【明治維新150周年インタビュー】松陰神社名誉宮司に聞く「志」とは何か
山口県萩市にある松陰神社。
高杉晋作や伊藤博文など、多くの幕末の志士を輩出した松下村塾で有名な吉田松陰をまつる神社だ。
松陰の志を継いだ若者たちは明治維新の原動力となり、
その後の日本を変えていく存在となった。
明治維新150周年を迎える今、
彼らから何を学ぶことができるのであろうか?
松陰神社の名誉宮司である上田さんに、松陰の説く「志」について話を聞いた。
吉田 亮
1990年岐阜生まれ。東京大学文学部卒。
在学中から「日本の文化や歴史を現代に生かし、未来に繋げたい」と神社ツアーや塾の運営など行う。
「社会のために」という視点が必要
吉田松陰は幕末の思想家・教育者である。
松陰といえば松下村塾が有名だ。
わずか2年にも満たない短期間で、多くの優秀な若者たちを育てた。
松下村塾の門下生には高杉晋作や久坂玄瑞(くさかげんずい)・伊藤博文(いとうひろぶみ)・山縣有朋(やまがたありとも)などが名を連ねる。
萩の産業遺産群として、2015年に世界遺産にも登録された。
その松下村塾の教えの一つに「立志(志を立てよ)」というものがある。
では、「志」とは何だろうか。
「志とは、個人的な欲求だけではだめなんですよね。」
吉田松陰をまつる松陰神社の名誉宮司・上田さんは語る。
「志はあくまでも、社会のためです。
例えば、野球選手になりたいというのは個人的な欲求。
その野球選手という仕事を通して、社会のためにどうしたいのか、
それがあってはじめて、本当の志といえます。」
世の中を見渡して、問題を発見し、何をすべきかを考え、実行する。
そして、そのために志を立てること。
上田さんは、今の世には「志」を持った若者が少ないと危機感を抱いている。
「私は今時の若者たちを悲観はしてはいません。
けれども、彼らの中に『社会のために』という視点が、
希薄になっていることは否めないでしょう。」
高望みはしないけれども波風立てない、そんな若者が多いのかもしれない。
しかし、上田さんによれば、自身の手の届く範囲の幸せだけを願うのは、「志」とは言えないそうだ。
では、どうすれば「志」と言えるのか。
それには世のため人のために動こうとする心が大切だという。
「志というのは社会性を帯びていないと。世のために何ができるのかを考えていただければと思います。」
上田氏の「志」
上田さんは山口県の飯山八幡宮の社家に生まれた。
神主になるべく國學院大學に進学、卒業後すぐに実家の神社に奉職した。
「学部を卒業したあとも大学に残りたいという気持ちもありました。
國學院大学には日本文化研究所というところがあります。
そこで助手として働けたらなと考えていました。」
そんな上田さんの迷いを察したのだろうか。
卒業を間近に控えた上田さんのもとに実家から一通の電報が届いた。
電報にはただ「すぐ帰れ。」とだけ書かれていたという。
「卒業式を待たずに飛んで帰りました。
何が起こったんだろうと。
それで飛んで帰ったら、なんでもなかった。」
電報は、息子が卒業後に東京から帰ってこないのではないか、と心配した父親が送ったものだった。
「早く神社を継がせたい。」という父の思いを察した上田さんは、
「もう東京には帰るまい。」と卒業手続きを友人に頼み、
そのまま実家の飯山八幡宮に奉職した。
しかし20代の頃は、神社に奉仕するということに対し、葛藤があった。
「飯山八幡宮は代々続いてきました。
私の代にそれが途切れるようでは先祖に対しても申し訳が立たない。
それに対して自分はどう思っているのか。
つまり、御洗米(ごせんまい)で生かしてもらっていて良いのだろうか。
そういう思いは若いときにはありましたね。」
氏子や参拝者が神さまへ供えたもの、そのおさがりである御洗米(ごせんまい)を食べて生きているということへの迷いは消えなかった。
また、プレッシャーもあった。
「若いときは、地域のことを思い、氏子さんや崇敬者のひとりひとりの幸せを願うことが、
本当に自分ひとりでできるのか不安でした。」
プレッシャーや葛藤がなくなるまでには、長い期間が必要だったという。
「永きにわたってご奉仕してきた、それはひとつの歴史の流れの一点かもしれないが、その一点を大事にしなければ祖先に対しても子孫に対しても責任がとれないでしょう。
そういう風に理屈の上でも自分の気持ちが固まっていくのは30代後半か40前後だったように思います。」
そう語る上田さんの顔は和やかだ。
「神職になるのであれば、祭典や毎日の務めをいかに喜んで、価値を噛みしめながら奉仕をすることを目指していくべきだと思います。」
「神様へのご奉仕をしていく中で、祭典を通して氏子・崇敬者のために尽くしていくのが天命だと思うようになりました。」
皆さんのため、氏子崇敬者のために尽くしていく—。
上田さんの「志」もまた、吉田松陰の教えを継いだものなのだ。
志は変わってもいい
現在、松陰神社の名誉宮司である上田さんも、
若い頃は様々な葛藤を抱えながら奉仕をしていた。
気持ちが固まったのは40歳前後。
自身の経験も踏まえているのだろうか。
志は若い人だけの特権ではないと上田さんは語る。
「もちろん掲げた志をずっと持ち続けるのはいいこと。しかし変わってもいいのです。」
時代に変化はつきものだ。
環境や時代の変化にともなって自分の志が変わるというのは決して悪いことではない。
「志は、はじめは小さくても段々と大きくなっていきます。
歳を重ねるにつれて変わっていっても大丈夫です。
ただ、あまりにも身近なことを志にするのは違います。
志はできる限り高い位置に求めましょう。」
合格の先にあるもの~合格祈願の秘訣~
吉田松陰は、学問の神様として日本中の人々から信仰されている。
松陰をまつる松陰神社の境内には、松下村塾の建物が当時のまま残されており、
全国から参拝者が集まる。
上田さんは参拝者に伝えたいことがあるという。
「参拝者には松陰先生の思いを知り、
社会がどうあるべきか考えてみてほしいです。
社会のなかで自分がどういう存在でありたいかを
考えることが大切だと思います。」
松陰神社に合格祈願に訪れる参拝者も多いだろう。
最後に受験生へ向けたメッセージをいただいた。
「受験の合格だけでも結構なんですが、
この先自分はどういう人間になりたいのか。
まさに志ですよね。
その志のために合格したいんだという気持ちがあれば、一番いいと思います。」
上田さんの言葉には、
「志」を説いた吉田松陰の教えが息づいている。
編集後記
実は、上田名誉宮司とお会いするのが今回が2度目でした。
1度目は3年前、2015年の1月6日。
上田宮司(当時)に、世界遺産になる直前の松下村塾にて、
「吉田松陰の生き様」や「現代にも活かせる松下村塾の教え」などを講義して頂きました。
私はその後、ご縁があった松陰神社(東京都世田谷区)近くの歴史資料館にて、
1年半ほど、毎週土曜日に塾を開き、
毎月、松陰神社ツアーを開催していました。
(のべ20回以上!!)
もちろん、神社ツアーでは、
上田宮司に教えて頂いた内容も参考にしていました。
松陰神社ツアーを開催するうちに、
お寺でのイベントにも呼んでいただくようになり、
神社やお寺が抱える課題を知りました。
そのなかでも、
特に、「10~50代の神社お寺離れを助けたい」との想いから、
神社お寺の投稿サイト「ホトカミ」は生まれました。
ある意味、ホトカミが生まれた一番のルーツは、3年前の上田宮司の講義だったのかもしれません。
そう思うと、感慨深い気持ちになりながら、
上田宮司のお話を伺わせて頂きました。
山口県萩市の松陰神社、オススメ松竹梅
一つ目は、なんと言ってもやはり
現存する「松下村塾(しょうかそんじゅく)」!!
松陰先生が、実際に高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など、
明治維新に貢献した人物たちを育てた松下村塾の建物そのものが残っています。
こんな小さな建物から、
日本を変える人物たちを生み出して行ったんだなと、思うと感動します。
2015年に世界遺産にも選ばれました。
二つ目は、「至誠」と書かれた御朱印。
「至誠にして動かざる者は 未だ之れ有らざるなり」
(超現代語訳:誠の心をもっていれば、必ず物事は良い方向へ動く)
という松陰先生の言葉に、
この「至誠」という言葉は由来しています。
「松下村塾」の印と「はぎ」の文字も嬉しいですね。
そして、最後となる3つ目は、
「松陰神社宝物殿 至誠館」です。
簡単にいうと、
「松陰先生」と「松下村塾」の何がすごかったのか?知ることができる、
宝物殿であり、資料館です。
この至誠館は、
境内にある松下村塾のすぐ隣にあります。
松陰神社にきたけど、
「私は新撰組派だから、長州のことは興味ない。」
「結局、何がすごいの?」と思っている方、
至誠館では、
わかりやすい動画なども流れているので、
ぜひ、至誠館にも足を運び、歴史に触れてみてください。
というわけで今回は、
山口県萩市にある松陰神社の上田栄誉宮司にお話を伺いました。
2018年は、明治維新から150年です。
150年前、日本を動かす原動力となった若者たちが学んだ場所や教えに触れてみませんか?
ぜひ、お参りしてみてください。
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