御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

日蓮宗高峰山

妙了寺の御由緒・歴史
山梨県 市川大門駅

創建時代1288年(正応元年)
開山・開基妙了日仏尼
ご由緒

 宗祖直弟子妙了日仏尼の開創で、その子日了によって開かれた。
創立は正応元年(1288年)とされる。
日仏尼は宗祖が身延山在山中、約9年間よく給仕供養に努めた。
一子出産の折、難産のところ宗祖の祈祷護符で救われ、無事出産した。
後母子共に出家し、宗祖より妙了日仏の法号を賜り、子は日了を賜った。
当寺は元真言宗に属したが、身延より戻った日仏尼が時の住職と問答して改宗せしめたものである。
尼の没後、その遺言により安産守護の祈祷所となった。
 江戸時代中期以降、この地は田安家の所領となり、領主の家に世嗣がなかったため祈願して一児を得たのが幼名亀之助、後に家達と称して徳川家第十六代を継いだ人である。
その功により、三つ葉葵の家紋付きの駕籠と十万石の格式を与えられた。
家達幼時の玩具数点が今も当寺に保存されている。
 当寺はかつては昼なお暗き老杉の茂った森の中に十二間☓十二間の本堂と十二間☓八間半の客殿、その他祖師堂、三十番神堂、七面堂、鐘楼、経蔵、題目堂、仁王門、惣門、稲荷社等、堂伽藍三十余棟が林立するほどの巨刹であったが、昭和24年4月、失火により経蔵、宝蔵、惣門、稲荷社を残すのみで、全山灰燼に帰した。
 身延山国中触頭三ヶ寺の中心寺院として、末寺27ヵ寺を配下に納めていた。
宮家、徳川家、武田家より寄進された品々も現存している。

歴史
歴史[編集] .mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link...Wikipediaで続きを読む
引用元情報妙了寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A6%99%E4%BA%86%E5%AF%BA&oldid=95318331

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ