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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
深向院ではいただけません
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名称深向院
読み方しんこういん
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご本尊釈迦如来
宗旨・宗派曹洞宗
創建時代天長年間(824年から832年)
開山・開基空海
文化財

釈迦如来像(県指定文化財)

ご由緒

~Wikipediaより~

所在する南アルプス市宮沢は甲府盆地西部に位置する。
中世には甲府盆地南西端から富士川町、市川三郷町黒沢一帯にあたる大井荘の荘域で、平安時代後期から鎌倉時代には甲斐源氏・加賀美氏の一族である秋山氏が進出した。
近世には宮沢村が所在し、字東宮沢の宮沢中村遺跡は鎌倉・江戸期の集落遺跡として知られる。
一帯は水害を受けやすい低地であるため、明治期には集落の全村移転が行われた。

深向院はもと甲府・興因寺(甲府市下積翠寺町)の末寺で、寺伝に拠れば前身は平安時代の天長年間に空海が創建した真言宗寺院で、平安後期に甲斐源氏・武田氏の一族である武田信光が信光寺と改めたという。
江戸後期の『甲斐国志』に拠れば、室町時代の応永年間には盆地西部に勢力を持った大井春信(修理大夫)が再興する。
戦国時代の天文年間には武田信玄・勝頼の側近である跡部勝資(大炊助)が甲府興因寺五世の玄紹宗黄を招いて中興し、曹洞宗寺院に改宗されたという。
また、三世の両月玄恵(りょうげつげんけい)は跡部勝資の叔父であるという。
天正5年(1577年)6月10日には武田氏から寺領安堵など五箇条の条目を受け、跡部勝資が奏者を務めている(「深向院文書」)。
天正6年(1578年)には本山の興因寺と信濃禰津定津院(長野県東御市)の間で最乗寺輪番を巡る相論が発生し、両月玄恵は跡部勝資を通じて勝頼から同心100人を借り受けるが同年9月28日に合戦において討死し、相論は興因寺が勝訴したという。

武田氏の滅亡後は甲斐を領有した徳川氏から寺領安堵を請ける。

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