みょうげんじ|日蓮宗|鬼島山
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河内三十三観音霊場 第11番札所です。
~御詠歌~
草も木も 救はんための 鬼嶋の 山のゆわいに 出でし御仏
ここのお寺は鬼島十一面観音が有名で県外からも多数の参詣者が訪れるため、先々代まで宗門に入っていなかったとのことですからすごいですね。
なにより本殿より観音堂のほうが大きいのはビックリです。
御首題
観音霊場御朱印
山門です。
石碑が立派ですね。
山門から緩い坂を上がってきます。
手前が本殿。奥が観音堂。
観音様の由来が書いてあります。
七面堂。
こちらの寺務所で御首題いただきました。お札、お守りも販売しています。
ちょっと一息。
名称 | 妙現寺 |
---|---|
読み方 | みょうげんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0556-27-0037 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://myogenji.jp/ |
詳細情報
山号 | 鬼島山 |
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宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
創建時代 | 1195年 |
文化財 | 鬼島妙現寺のウメ(中梅) 富士川町文化財
|
ご由緒 | 寺伝によると、妙現寺の前身は鎌倉時代の 1195年開創の真言宗寺院大善寺だったといわれています。同寺が日蓮宗に改宗して現在地に移ったのは、永生十六年のこととされています。 妙現寺の北側に、現在も観音沢という谷川が流れています。大善寺はその上流、妙現寺の西側、山腹の平地にあったそうです。そこに祀られていた十一面観音像が 1241年に山崩れによって流され地中に埋没していたが、江戸時代・元禄期(1688~1704)に道・普請の際、村人によって発見され妙現寺におろされて祀られるようになったといわれています。 制作年代は、平安初期といわれ、その技法から作者は当時、仏師として有名な「行基」と推そくされ、長い年月地中に埋もれていたと伝えられます。 本像は、最頂部から台座まで、1メートル70センチ以上あり、日本でも珍しい背の高い、完全な一木彫です。 そのお姿は右手をすんなりと伸ばして垂れ、左手を曲げています。掘り出した時に鍬が左腕にあたり血がにじんだと云われ、そのために包帯をまいてます。 霊験あらたかな「鬼島のお観音さん」として昔から多くの人々の信仰をうけています。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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