うわとじんじゃ
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2月の訪問です
今は区画整理をされて市川三郷町ですが以前は三珠町 隣が市川大門町なので市川文殊とも呼ばれ、知恵文殊神様としても知られています。通称お文殊さんです
社伝によれば神代の創建ともされる歴史のある神社です
4月の第一日曜日に開催される御幸祭(おみゆきまつり)は
約800年前から続く山梨の三大奇祭の一つのお祭りで
表門神社から※御崎神社まで神輿が練り歩きますが近くを流れる芦川に差し掛かると
神輿を担いだまま川に入り渡る場面が迫力満点で最大の見せ場。
別名「神輿の川渡り」とも呼ばれる勇壮な祭りです
神楽殿と社殿が近いので正面からの写真が撮れなかった
※以前参拝した御崎大明神のこと
社殿
本殿
【甲斐國 式内社巡り】
表門神社(うわと~)は、山梨県西八代郡市川三郷町上野にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は、天照大御神、倉稲魂命、瓊瓊杵命。別称は「御崎大明神」、「市川文殊」、「市川明神」、「お文殊さん」。
創建は不詳。社伝によると、人皇第七代考霊天皇の御代の創建。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐國 八代郡 表門神社 小」の論社となっている。1081年に当社神主が京都で白河天皇の病気平癒を祈祷し祈願し癒したことから、空海筆による「文殊画像」と神領を寄贈されて、社殿、51の末社、上下の大鳥居を建立し、勅願所とした。以後、「市川明神」、「お文殊さん」と呼ばれ、知恵の神様として親しまれ、甲州盆歌にも歌われている。なお当社の例祭、4月の川渡りの御幸祭は、1095年に源義清が平塩の丘に館を構え、当社の神輿を迎えたことに始まるとされている。明治時代に入り、郷社に列した。
当社は、JR身延線・芦川駅の北方300mの県道沿いの市街地、平地にある。境内は長方形で広々としていて、県道に面した長辺は100m以上ある。玉垣に囲われた境内地の中に、瑞垣に囲われた社殿周りが存在する。隋神門、神楽殿、社殿はいずれも大きくなかなか立派なもの。旧郷社とのことであるが、全体として格上の風格とサイズ感。
今回は、甲斐國の式内社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分たち以外に特に参拝者はいなかった。
※ネット上には、宮司さん宅にて御朱印を拝受できるとの情報も見られるが、実際に宮司さん宅に訪問して聞いてみると、現在は御朱印の領布を止めたとのこと。残念...涙。
境内南西端入口にある<鳥居>と<社号標>。木製六脚鳥居は江戸中期1695年の建立。
この後まっすぐ進んだ後で参道が左折する。
左折する場所から参道全景。広々として気持ちが良い。
参道右側にポツンと建っている<熊野宮>。石製小社だが大事にされている。
参道を進むと、真っ赤な<隋神門>が見えてくる。
隋神門前左側の<狛犬>。大きな顔に鋭い眼差し。
隋神門前右側の<狛犬>。口も大きくやや怖め。
堂々たる構えの<隋神門>。あとで出てくる神楽殿、拝殿、本殿とともに、江戸時代中期1695年の建立。
隋神門をくぐってすぐの場所にある<神楽殿>。銅板葺の屋根や石製の階段は古そうだが、躯体は改築されたようで塗装も新しくきれい。(o^―^o)
神楽殿の右手にある建物。蔵かな。
神楽殿の後ろにある<拝殿>。大きくどっしりとした構え。
<拝殿>正面に張り付けられている命名表が面白くて、女の子は右側、男の子は左側に張り付けられている。
<拝殿>内部。地味な内部を勝手に予想していたが、想像を大きく超えて豪華できれい。素晴らしく手入れされている。
拝殿に向かって右手にある境内社。
拝殿と境内社の間の桜の木が満開。華やかさを演出している。
拝殿後ろの<本殿>。三間社流造。桃山期の作風を残しているが、江戸中期1695年の造営で、1818年に檜皮葺から銅板葺に屋根替え。
本殿の右手にある境内社。社名は不明。
本殿の後ろにある石製小社群。
<本殿>を左側から。
本殿の左手にある石製小社。台座付き。
拝殿の左手にやっと<手水盤>を発見。(^_^;)
拝殿の左手に瑞垣で囲われたエリアからの出口があったので出てみる。
やっぱり拝殿前の桜がきれい。(o^―^o)
県道そばにある、たぶん<稲荷社>。
稲荷社前にある、変わった形の石鳥居。春日型と呼ばれ、全体の構成は直線的で反りが少なく、笠木、島木の両端もほぼ垂直に切られている。総高2.74m、柱幅2.57mで、背が低く安定感に富んでいる。この意匠から鎌倉期のものであると推定されている。スゴイ! (^▽^)/
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