ひなづるじんじゃ
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楽しみ方雛鶴神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年04月20日(日) 16時51分35秒
参拝:2025年4月吉日
浅間日月神社へ参拝し、河口湖畔に寄って富士山を堪能しようと思ったのですが、大渋滞で断念。カチカチ山のうさぎ神社へ向かうも、ロープウェイ乗り場も大行列。少例大祭開始時間迄1時間も前に着いてしまいました。皆さん準備で忙しい中、御朱印を書き入れて頂きました。色々散策したかったのですが社殿等の近くづくことも出来ません。例祭儀式の半分位に参列させて頂き良い経験をさせてもらいました。帰りの渋滞を考え、途中で離席させて頂きました。
建造物は歴史的なものではないが、建立の由来が特筆すべきです。
1334年(建武元年)護良親王が京都で捕えられ、鎌倉に護送され幽閉され、1335年(建武2年)鎌倉で殺ましたました。京都から鎌倉に随行し、最後まで仕えた親王の側室雛鶴姫は、護良親王を手厚く葬ろうと首級を抱えて、鎌倉から故郷十津川を目指して鎌倉を脱出した。鎌倉街道を秋山村に入ったが、秋山村無生野にたどり着き宿を求めたが、足利氏の咎めが及ぶことを怖れた村人に断られた。そのため一行は現在の雛鶴峠付近に至りました。その際、解任していた姫は葛城宮綴連王を生むとともに亡くなられ、従者たちが亡骸を手厚く葬った。後日村人が神社を建立し祀ったとされています。関係者により親王と縁の深い鎌によに兼務社とするよう嘆願。鎌倉宮がこの地を姫の逝去の地と認定し、毎年4月20日に例祭が執り行われています。先にたどり着いた秋山村はこの地k多厄4~5キロ離れていますが、その地にも雛鶴神社が鎮座しています。
建造物は歴史的なものではないが、建立の由来が特筆すべきです。
1334年(建武元年)護良親王が京都で捕えられ、鎌倉に護送され幽閉され、1335年(建武2年)鎌倉で殺ましたました。京都から鎌倉に随行し、最後まで仕えた親王の側室雛鶴姫は、護良親王を手厚く葬ろうと首級を抱えて、鎌倉から故郷十津川を目指して鎌倉を脱出した。鎌倉街道を秋山村に入ったが、秋山村無生野にたどり着き宿を求めたが、足利氏の咎めが及ぶことを怖れた村人に断られた。そのため一行は現在の雛鶴峠付近に至りました。その際、解任していた姫は葛城宮綴連王を生むとともに亡くなられ、従者たちが亡骸を手厚く葬った。後日村人が神社を建立し祀ったとされています。関係者により親王と縁の深い鎌によに兼務社とするよう嘆願。鎌倉宮がこの地を姫の逝去の地と認定し、毎年4月20日に例祭が執り行われています。先にたどり着いた秋山村はこの地k多厄4~5キロ離れていますが、その地にも雛鶴神社が鎮座しています。

お供の松説明板

雛鶴姫の供をし、殉死した藤原宗忠、馬場小太郎二人の従臣のために植えられたという樹齢300余年の二本の老松ですが、枯れてしまい平成十八年(2006)に銀杏の木に植え替えられています


鳥居

姫の泉



平成八年(1996)に再建された雛鶴姫之墓

雛鶴神社 近くには寄れませんでした

例祭風景

雅楽を奏ら宮司一行が鳥居から本殿前にゆったりと歩いてきます

巫女さんたちもこの日の為に鎌倉からやってきました

振鉾の舞

雛鶴姫の舞



浦安の舞
すてき
投稿者のプロフィール

サンダー2390投稿
2020年2月に九州旅行の折に熊本城へ行き、復興のつもりで始めました。そんな中、コロナウィルスが流行し100日参りをして病気平癒を願って参拝していましたが、さすがに外出できず途中で断念。 落ち...もっと読む
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