せんげんじんじゃ
淺間神社(忍野八海)の御由緒・歴史
ご祭神 | 主祭神:木花之開耶姫命
相殿:天津日高日子番能邇邇藝能尊・大山津見命 | |
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創建時代 | 大同2年(802) | |
ご由緒 | 世界文化遺産、また、国指定天然記念物でもある忍野八海(国と忍野八海浅間神社の所有の八つの池)に鎮座する当浅間神社は大同2年(807)の創建です。地元では「忍野浅間神社(おしのせんげんじんじゃ)」、「忍草浅間神社(しぼくさせんげんじんじゃ)」、一般には「忍野八海浅間神社(おしのはっかいせんげんじんじゃ)」と称され、崇敬されています。 文治2年(1186)、現在地に社殿を再建し、建久4年(1193)に将軍・源頼朝が富士裾野の巻狩りの際に鳥居地峠から鬼坂までを社領と定められ、同年8月6日に鎌倉幕府から武運長久祈祷があり、鳥居地峠に和田小太郎義盛、畠山次郎重忠の寄進による神門と金剛力士像(運慶作と伝えられる)が建立されましたが、現在は二天王像(四天王のうちの持国天【東方の守で青】・増長天【南方の守で赤】の二像で阿形と吽形)が神門に安置されています。 慶長18年(1613)11月に社殿を再建。宝永2年(1705)11月に本殿を三間社極彩色に再々建。正徳3年(1713)6月に東国の溝中。武州江戸本郷春木町の伊右衛門・三佐衛門・喜平治などにより大僧正常然書の大鳥居の「富士大権現」扁額奉納されました。 延享3年(1746)4月に拝殿を再造営。天保2年(1831)に現在の天屋拝殿を再造営。神門、及び拝殿は茅葺屋根のため幾度か葺き替えを行われましたが、昭和51年(1976)9月に忍野出身の大森正男氏よりの多額の浄財により銅板葺きとなり、現在に至っています。 御神体は正和4年(1315)丹後の仏師・石見坊諍観の作で平成17年6月9日に国指定重用文化財として文部科学省から認定され、それぞれ木造女神座像(伝・木花之咲耶姫命-座高40.5cm)、木造男神座像(伝・鷹飼-座高37.2cm)、木造男神座像(伝・犬飼-座高36.9cm)で、三体とも檜材、一木造坐像、刀法をはじめ面貌までも似ており、わずかに着衣、双手等にちがいを見ることができます。胡粉地の彩色も経年ため古色を帯び、高貴な男女神の相好を示す優作です。 相殿神が御神体と異なるのは、明治元年(1868)の神仏分離令により権現などの仏教的な用語を用いることが禁止され、現在の神名になったとされています。 また、境内裏を流れる新名庄川には浅間神社のお宮橋があり、春には桜の名所として賑わいます。 |
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