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じょうこうじ|曹洞宗武隆山

常光寺の御由緒・歴史
山梨県 新府駅

開山・開基青木十郎太常光
ご由緒

初期武川衆の一人、青木十郎常光が開基し、青木氏の武威が隆盛ならんことを念じて武隆山と号した。はじめは真言宗であったが、後に常光七世の子孫尾張守満懸(信定ともいう)が、雲鷹玄俊(正覚寺開山)の弟子海秀玄岱和尚を開山に迎えて、曹洞宗寺院として中興開山した。最初の開基常光は甲斐守護一条源八時信の孫に当たる。満懸は、武田信縄・信虎・信玄三代に仕えて功多く、その嫡男兵部少輔重満(信立)も、武川衆の旗頭として、信玄の弟左馬助信繁を補佐し、武勲を立てている。
武田氏滅亡で浪人となったが、子息信時とともに徳川家康に仕えた。青木氏の禄高は五百八十石、信時の三代後に江戸へ移ったが、始祖十郎時光から信安までの十一代は、青木の屋敷に住んで、常光寺に葬られた。その墓所は法堂の裏山に設けられ、韮崎市指定史跡となっている。また信時の弟兵部丞信俊は柳沢家を継ぎ、その孫が柳沢美濃守吉保である。

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