じょうこうじ|曹洞宗|武隆山
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に
歴史
初期武川衆の一人、青木十郎常光が開基し、青木氏の武威が隆盛ならんことを念じて武隆山と号した。はじめは真言宗であったが、後に常光七世の子孫尾張守満懸(信定ともいう)が、雲鷹玄俊(正覚寺開山)の弟子海秀玄岱和尚を開山に迎えて、曹洞宗寺院として中興開山した。最初の開基常光は甲斐守護一条源八時信の孫に当たる。満懸は、武田信縄・信虎・信玄三代に仕えて功多く、その嫡男兵部少輔重満(信立)も、武川衆の旗頭として、信玄の弟左馬助信繁を補佐し、武勲を立てている。
武田氏滅亡で浪人となったが、子息信時とともに徳川家康に仕えた。青木氏の禄高は五百八十石、信時の三代後に江戸へ移ったが、始祖十郎時光から信安までの十一代は、青木の屋敷に住んで、常光寺に葬られた。その墓所は法堂の裏山に設けられ、韮崎市指定史跡となっている。また信時の弟兵部丞信俊は柳沢家を継ぎ、その孫が柳沢美濃守吉保である。
名称 | 常光寺 |
---|---|
読み方 | じょうこうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0551-22-2014 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
甲斐百八霊場 第76番 | 御本尊:薬師如来 |
---|
詳細情報
山号 | 武隆山 |
---|---|
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
開山・開基 | 青木十郎太常光 |
ご由緒 | 初期武川衆の一人、青木十郎常光が開基し、青木氏の武威が隆盛ならんことを念じて武隆山と号した。はじめは真言宗であったが、後に常光七世の子孫尾張守満懸(信定ともいう)が、雲鷹玄俊(正覚寺開山)の弟子海秀玄岱和尚を開山に迎えて、曹洞宗寺院として中興開山した。最初の開基常光は甲斐守護一条源八時信の孫に当たる。満懸は、武田信縄・信虎・信玄三代に仕えて功多く、その嫡男兵部少輔重満(信立)も、武川衆の旗頭として、信玄の弟左馬助信繁を補佐し、武勲を立てている。
|
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
山梨県のおすすめ2選❄️
常光寺に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
12
2