がんじょうじ|曹洞宗|鳳凰山
願成寺のお参りの記録一覧
甲斐源氏ゆかりの地を巡るツアーで訪れました。
1か月ぶり3度目のお詣り。
住職さんが観音堂の扉を開けて頂いて、みんなでお堂に入って説明を伺うという貴重な体験をすることが出来ました。こういうのはツアーならではで良い経験となりますね。
本堂の手前左側にお地蔵さんがおられるのですが
そこの敷石の一つが石臼ってことに気づきました。先日深谷で参道に石臼が敷き詰められていた神社にお詣りしていなければ多分一生気づかなかったでしょう。
先月は桜を楽しみましたが、夏は夏でまた花が咲くのが楽しみですね。
5年ぶり2度目のお詣りとなります。
4月に駅前のよっちゃばれ広場で信玄公生誕500周年のイベントがあり
スタンプラリーで信長の野望とコラボしたグッズがもらえるということで
甲府に行ったわけですが、韮崎観音様の近くに宿を取ったということもあり、
前回は御朱印を頂けなかったので今回頂けると嬉しいなと思い寄ってみる。
前日の夕方、韮崎駅前の観光案内書の方とお話をした際に
今年の桜は遅いということでしたが(韮崎駅前での観測結果)
それよりも私が来るのが遅かったみたいですね。
それでも境内には別の種類の桜は結構咲いていましたし
天気も良くて清々しい気持ちで参拝できました。
御朱印は本堂向かって右側の庫裏手前の下駄箱に書置きがありました。
本堂です。
もうこちらの桜はラストスパートに入っていました。
それでもまだ頑張る!
あれ?ここのお堂の前に釈尊公卿像っておられたんですね…前回気づかずにすみませんでした。(その後お詫びとしてひたすら歩く苦行をしてきたわけで)
釈迦三尊がおられます。
ベンチにはスポンサー表示がなく。座って休むには日差しは容赦ないんですけどこうやってベンチに座って境内を眺めながらぼーっとするのもいいんですよね。
手水舎です。
春の名残を静かに語っていました。
とはいってもまだまだ咲いてますね。
やっぱり奇麗です。
山門です。
上の部分だけなのだろうか、埋もれているのだろうか
この参道の清々しい感じが好きなんですよね。
山門を出て石段を下りずに左の坂を下っていきますと願い坂という境内に続く坂があります。
坂を上るとこんな感じで観音様が出迎えてくださいます。
こっちの坂道も気持ちいいですね。
甲斐百八霊場77番札所です。
武川筋観音霊場第33番札所です。
広い駐車場、境内を持つお寺でした。
武田信義公の墓所があります。また武田家家臣の祀った碑があったりして、武田家と深い繋がりがあったと思われます。
御朱印は扉を開けて入った庫裏の所に書き置きの御朱印が用意されていました。
張り紙がしてあって、ご住職がいらっしゃるときは直書きして下さるそうです。
~武川筋観音霊場御詠歌~
元よりも 願ひ成るとの 寺なれば 頼む心を よもや漏らさじ
巡り来て 我が罪咎の 笈摺は 其の功徳 池の蓮ならまし
人の花 仏の御徳 なるものを 知らで知り行く はたの惜しさよ
お参りの後散策しました。ご集印を頂ける場所が分かりにくかったのですが、無事頂く事が出来ました。
お寺までの階段の両端に可愛いお地蔵が並んでいました。
甲斐百八霊場第77番
武川筋三十三観音結願所
宗派は曹洞宗、ご本尊様は阿弥陀如来様。
JR中央本線韮崎駅から徒歩25分くらいのところに居られます。
宝亀2年(771年)の創建と伝えられています。
その後、甲斐源氏4代武田氏初代武田義信が武田の荘に館を建て祈願寺として中興されたそうです。
奇麗に掃除の行き届いた境内はとても清々しく、桜など春の花や良く晴れた青空が境内を彩っていました。
石段の両脇には秩父三十四観音の写しが居られます。1666年に安置されてから一体もかけることなく当時の姿で参拝者を迎えてくださいます。
室町時代の手法を模した山門です。1864年の台風で倒壊したそうで、1990年に再建されたそうです。
山門をくぐると参道がまっすぐ伸びて正面に本堂が居られます。両脇にはベンチもあるので上り坂と石段での疲れも癒せますね。
甲斐源氏武田氏の御位牌を安置されている御霊殿です。
桜が奇麗に咲いていました。
観音様も参道の坂道を登ってくる参拝者を見守って下さいます。
山門向かって右側には武田家家臣招魂の碑がございます。
青空に桜が映えてますね。
武田義信公のお墓がございます。
平安末期から鎌倉時代に作られたと伝えられる阿弥陀三尊がおられます。戦火や災害に見舞われながらも難を逃れ、当時の姿のまま我々を見守って下さってます。
眺めがまた良いですね。
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