がんじょうじ|曹洞宗|鳳凰山
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願成寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 阿弥陀如来 | |
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創建時代 | 771年(宝亀2年) | |
ご由緒 | ~Wikipediaより~ 甲府盆地の西部、釜無川右岸の氾濫原から市域西部の山麓地域に至る神山地区の東部に位置する。神山町北宮地の武田八幡宮へ至る街道の南側に立地する。中世には巨摩郡武田郷、近世の九筋二領では北山筋鍋山村にあたり、付近には武田八幡宮のほか、神山町鍋山の鍋山山頂には武田信義築城と伝わる白山城跡が存在するなど、甲斐源氏・武田氏ゆかりの史跡が多い。 古代甲斐国では天台宗・真言宗の密教が伝わっており、願成寺も創建当時は天台宗寺院であったと言われる[1]。甲斐国では平安時代後期に常陸国から源義清・清光(逸見冠者)が甲斐国の市河荘へ土着し、その子孫は甲斐源氏として盆地各地へ進出した。山梨県内には義清・清光開創を伝える寺院は多い[2]。 『甲斐国志』に拠れば、願成寺は源清光の子で甲斐源氏棟梁・武田氏始祖の武田信義(願成寺殿)が開祖であると言われる[3]。鎌倉時代に甲斐源氏の一族は源頼朝の粛清を受けて没落する。 戦国時代には守護・武田氏により中興され、臨済宗に改宗されたという。『甲斐国志』によれば、戦国期に住職となった願成寺俊虎(がんじょうじ しゅんこ)は武田晴信(信玄)の甥にあたるとされるが、系譜関係は不明[4]。 武田氏滅亡後、武田遺領を巡る天正壬午の乱や慶長12年(1607年)の火災で寺宝を消失したという。近世には承応年間に然室が中興し、曹洞宗に改宗され、上条南割村の大公寺末寺となる。 |
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