せいうんじ|臨済宗建長寺派|天目山
栖雲寺のお参りの記録一覧
臨済宗の栖雲寺様をお参り致しました。
「武田勝頼公は、祖先である武田信満公が眠るこちらを目指して落ちようとされましたが、辿りつきませんでした。」と御住職から色々な武田家話を伺いました。
又、宝物館では、鉄製軍配を拝観しました。拝観の際には、事前に📞で予約させて頂きました。
勝利の神様である摩利支天様の御朱印です。こちらは、御朱印がポケットの様になっており、摩利支天像を収納致します。
富士山🗻が拝めます
住職様は、こちらの石庭にある岩々🪨の上で坐禅をなさるとの事です。🫣
星の御守を拝受致しました。こちらは、軍配型の御守で水晶が埋め込まれております。ちょっと高額でしたが、迷わず頂きました。
後程、調べたらこちらの水晶の保持構造(ダイヤモンドカットされた水晶が、振動が入ると、しばらく揺れて✨キラキラです)は特許取得されており、凄いです!しかも、日本のみならず、あらゆる国で権利取得され、本当凄いです!甲府市の企業が権利者なので、地元で盛り上げられているのでしょうか・・・
ご訪問された際には、是非、ご確認ください。
令和03年06月19日
西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
かなりの山中^^;
ご住職がご不在だったので、書置きを拝受しました。
※公式ホームページより※
http://www.tenmokusan.or.jp
信玄公にとっての聖地 新生武田の原点 リボーンの場所
業海示寂後69年、武田信満(武田家第十三代当主=信玄より六代前)が天目山で自害し武田家は断絶の憂き目にあいます。
しかし、その後大混乱に陥った甲斐国を救ったのもやはり武田でした。室町幕府は、出家して世捨て人となっていた信満の息子を還俗させ甲斐守護に据えます。その後の武田の繁栄は広く知られるところ。
信満公の菩提寺となって以降は、断絶の危機を乗り越えた新生武田の聖地として庇護を受け広大な寺領を持ち、東日本の幻住派(中峰明本を師とする法脈の一派)の中心的寺院として大いに栄えましたが、信玄没後は勝頼が天目山の戦いで織田信長に敗れ、最期に栖雲寺を目指すも織田の手が早く全焼の難を受けます。それを見た勝頼は失意のうちに引き返し自害して武田は終焉します。しかし徳川家康の寺領寄進を受けて伽藍を再建、旧観を取り戻しました。衰退はしても、戦火を免れた本尊、開山像など、多くの文化財を有する古刹として現在に至ります。
日帰りで山梨方面を参拝させて頂きました。
この日は宝物風入れ展とのことで賑わっていました。
この感じだと、天気も良さそうだし土日(2日目・3日目)は混むんだろうなぁ。
一人旅っぽいドイツから来たという若い女性の方も来場されていました。
年に一度、この位の時期に行っているそうです(確か3回目と言われていました)。
駐車場は20号から来るとお寺を超えた処に市営(と思われる)駐車場があります。
ご住職のブログによると、写真最後のマニ像の御朱印は期間限定のようです。
お寺のHPがありましたので、詳細情報に追加しました。
また、ピンの位置がずれていましたので訂正しました。
こちらの前に手前の景徳院さんにも寄らせて頂きましたが、再訪でしたので何点か写真の追加のみしています。
山梨県のおすすめ2選🍁
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