やまなしおかじんじゃ
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山梨岡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月08日(水)
参拝:2020年11月吉日
山梨岡神社(やまなしおか~)は、山梨県笛吹市春日居町鎮目にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。境外摂社の吾妻屋宮も式内論社。祭神は大山祇神(おおやまつみ)、高龗神(たかおかみ)、別雷神(わけいかずち)の3柱。本殿は国指定の重要文化財。なお「山梨」の地名は当社の社名に由来すると言われる。
社伝によると、崇神天皇の御代、疫病が蔓延し勅命により日光山高千穂の峰(当社背後の御室山と推定されている)に3柱の祭神を祀って近郷の鎮守としたのが始まり。成務天皇の御代に群境を定めるにあたり、御室山麓の現在地にあった梨の木数株を伐採して遷座し、鎮座地を「甲斐嶺山梨岡(かいがね・やまなしおか)」と名付けた。(当地が律令制下の甲斐国山梨郡山梨郷に比定されるため、これが郡名の由来であり、現在の県名の由来であるとされる。)当地周辺は古墳時代の考古遺跡が多数分布し、甲斐4郡成立後には甲斐國の初期国府と考えられており、奈良時代、平安時代の州ラック遺跡や古代豪族の氏寺(寺本古代寺院)などが分布している。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 山梨岡神社 小」の論社となっており、他にも同名の論社が1社(山梨市石森)ある。また、境内社の吾妻屋宮も『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 甲斐奈神社 小」の論社となっており、他にも論社が3社(甲斐奈神社(笛吹市一宮町)、甲斐奈神社(笛吹市春日居町国府)、甲斐奈神社(甲府市中央))ある。
戦国時代には、領主武田氏からの崇敬を受けたが、武田氏滅亡後、1583年に徳川家康から社領安堵を受けた。江戸時代になると朱印地8石を下賜された。明治時代には、郷社に列した。
当社は、JR中央本線・石和温泉駅の北東1kmほどの御室山の山麓にある。境内南側300mのところを国道140号線(秩父に抜ける幹線道路、別名「雁坂みち」)が通っている。山の麓ということもあって、境内周りは境界があいまいな感じで、参道も真っ直ぐではなく、神社というよりも寺院という感じを受ける。旧郷社ということでけっして大きくはないが、古代甲斐國の中心地、本殿は室町期の建立で国重文、山梨の地名の由来になっているなど、歴史ロマンに浸ることができる。
今回は、一日甲府旅行の5社目、式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者は見かけなかった。
※社務所に宮司さんの連絡先が掲示してあり、電話をすると来ていただけるとのこと(ネット情報)であったが、連絡先を発見できず、ご朱印拝受は断念した...涙
社伝によると、崇神天皇の御代、疫病が蔓延し勅命により日光山高千穂の峰(当社背後の御室山と推定されている)に3柱の祭神を祀って近郷の鎮守としたのが始まり。成務天皇の御代に群境を定めるにあたり、御室山麓の現在地にあった梨の木数株を伐採して遷座し、鎮座地を「甲斐嶺山梨岡(かいがね・やまなしおか)」と名付けた。(当地が律令制下の甲斐国山梨郡山梨郷に比定されるため、これが郡名の由来であり、現在の県名の由来であるとされる。)当地周辺は古墳時代の考古遺跡が多数分布し、甲斐4郡成立後には甲斐國の初期国府と考えられており、奈良時代、平安時代の州ラック遺跡や古代豪族の氏寺(寺本古代寺院)などが分布している。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 山梨岡神社 小」の論社となっており、他にも同名の論社が1社(山梨市石森)ある。また、境内社の吾妻屋宮も『延喜式神名帳』に記載のある「甲斐国 山梨郡 甲斐奈神社 小」の論社となっており、他にも論社が3社(甲斐奈神社(笛吹市一宮町)、甲斐奈神社(笛吹市春日居町国府)、甲斐奈神社(甲府市中央))ある。
戦国時代には、領主武田氏からの崇敬を受けたが、武田氏滅亡後、1583年に徳川家康から社領安堵を受けた。江戸時代になると朱印地8石を下賜された。明治時代には、郷社に列した。
当社は、JR中央本線・石和温泉駅の北東1kmほどの御室山の山麓にある。境内南側300mのところを国道140号線(秩父に抜ける幹線道路、別名「雁坂みち」)が通っている。山の麓ということもあって、境内周りは境界があいまいな感じで、参道も真っ直ぐではなく、神社というよりも寺院という感じを受ける。旧郷社ということでけっして大きくはないが、古代甲斐國の中心地、本殿は室町期の建立で国重文、山梨の地名の由来になっているなど、歴史ロマンに浸ることができる。
今回は、一日甲府旅行の5社目、式内論社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分以外には参拝者は見かけなかった。
※社務所に宮司さんの連絡先が掲示してあり、電話をすると来ていただけるとのこと(ネット情報)であったが、連絡先を発見できず、ご朱印拝受は断念した...涙
境内地の南方300m、国道140号線沿いにある<社号標>。少し進むと<平等川>に架かる<神橋>を渡る。背後の<御室山>を目指すので分かりやすい。
境内地が近づくと、奉納石柱が現れる。でも鳥居が見えない。
境内地の入口はこのあたりかな? 当社、なぜか鳥居がないので、どこからが神域なのかが分からない...(^_^;)
進行方向左手にある<社務所>。ネット情報ではここに宮司さん宅の電話番号があって御朱印を拝受できるということであったが、肝心の電話番号が見付からず、ご朱印拝受を断念...涙
やがて社殿が見えてくる。参道がまっすぐではなく、明確ではないので、なんとなく寺院に入って行くような感覚。(^_^;)
参道脇の植栽はきれいに整えられており美しい。
参道上の<神橋>の周辺は日本庭園のようになっている。
進行方向左手にある、しっかりとした造りの<手水舎>。
進行方向右手にある<神楽殿>。珍しいことに、神楽殿と本殿が渡り廊下で繋がっている。まるで鐘楼と本堂が繋がった寺院みたい。
拝殿と神楽殿の間の手前に立っている<御神木>。
<拝殿>全景。江戸時代中期1702年の建立。桁行五間梁間四間の入母屋造平入、桟瓦葺。まるで仏堂のような雰囲気。旧郷社にしては大きく、威風堂々としている。
左側の<狛犬>。手前の燈籠とともに、そんなに古いものではなさそう。
右側の<狛犬>。口中の彩色が鮮やか。(よく見ると口から血が出てる...(^_^;))
<拝殿>正面。<山梨岡神社>と書かれた扁額。床面がかなり低く、3段登ってそのまま内陣に続いている。
社殿右側の境内。石積みの遺跡のようなものがある。
神楽殿から見た<拝殿>。神社らしくはないがなかなかきれいな造形で、しかも300年の歴史があると思うとスゴイ。
社殿左手にある建物。<宝物庫>かな?
社殿の左側にある境内社。扁額の字が見えなくなっているが、<天王宮>と<重大夫稲荷社>という境内末社が2社があるらしいので、そのどちらか(そう言えば、社殿右側の奥に小さな社があった)。
こちらが国指定重要文化財になっている<本殿>。室町時代の建立で、桁行二間梁間一間、隅木入春日造、杮葺。
境内入口脇にある<郡石(こおりいし)>。古代律令制下で甲斐国における郡の境を決めたものとのこと。
この石の周辺にあった梨の木数株を伐採して当社が遷座したので、付いた郡名が<山梨>。なるほど...(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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