やまなしけんごこくじんじゃ
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山梨縣護國神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月15日(水)
参拝:2020年11月吉日
山梨県護国神社は、山梨県甲府市岩窪町にある神社。指定護国神社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、西南戦争以降の、山梨県出身の殉国者の英霊2万5千余柱。
明治時代前期の1879年に「招魂社」として甲府市太田町にて創建。1942年に現在地に遷座、1944年に「山梨県護国神社」と改称。戦後一時期「山梨宮」と改称したが、やがて復称した。なお、現在地は、甲府藩主・柳沢氏の菩提寺である黄檗宗寺院・永慶寺の所在地で、江戸時代中期の1724年に甲斐国一円が幕府直轄領化された際に大和郡山に移転された。
当社は、JR中央本線・甲府駅の北北東2.5kmの緩やかに登った高台にある。武田神社の東方500mの住宅街の端にある。広々とした境内をゆったりと使っているのは護国神社ならでは。拝殿は両脇に翼殿を備え、その両外側に建物があり非常に大きく立派な造り。境内には300本の桜が植わっており、春には花見客で賑わうとのこと。
今回は、一日甲府旅行のラスト13社目、指定護国神社であるため参拝することに。参拝時は週末の夕方で、日が暮れかかっていることもあり、参拝者は自分以外にはいなかった。
明治時代前期の1879年に「招魂社」として甲府市太田町にて創建。1942年に現在地に遷座、1944年に「山梨県護国神社」と改称。戦後一時期「山梨宮」と改称したが、やがて復称した。なお、現在地は、甲府藩主・柳沢氏の菩提寺である黄檗宗寺院・永慶寺の所在地で、江戸時代中期の1724年に甲斐国一円が幕府直轄領化された際に大和郡山に移転された。
当社は、JR中央本線・甲府駅の北北東2.5kmの緩やかに登った高台にある。武田神社の東方500mの住宅街の端にある。広々とした境内をゆったりと使っているのは護国神社ならでは。拝殿は両脇に翼殿を備え、その両外側に建物があり非常に大きく立派な造り。境内には300本の桜が植わっており、春には花見客で賑わうとのこと。
今回は、一日甲府旅行のラスト13社目、指定護国神社であるため参拝することに。参拝時は週末の夕方で、日が暮れかかっていることもあり、参拝者は自分以外にはいなかった。
当社に向かう途中、県道119号線上に建つ<神明鳥居>。かなり大きいが街に馴染んでいる。
境内南端入口にある<大鳥居>と<社号標>。鳥居の右奥に見える建物は、<山梨県神社庁神殿>。
大鳥居をくぐって参道を進み階段を上がると広場があって、<手水舎>がある。
社殿方向を望むと、社殿の手前に背の高い社叢と鳥居が2つあるのが見える。
広場に立つ<父の像>。
正面には<二の鳥居>。
参道を進み社叢を抜けると<三の鳥居>。
鳥居をくぐったところ。社殿前は広々としていて、真っ直ぐに伸びる参道が気持ちが良い。
<拝殿>全景。左右に長く堂々たる風貌。方角としては、拝殿は西南西を向いている。
<拝殿>中央部ズームアップ。この部分だけでもかなり大きく立派。
<拝殿>正面。神社幕の向こうに、厳かな明かりが灯る。
拝殿に向かって左手にある<社務所>。本来は、御朱印はこちら。時間は16:20ごろだったが、すでに閉まっていて、御朱印は拝受できなかった...涙
拝殿から参道を戻ると、二の鳥居の向こう側に、甲府盆地の南側の山並みと甲府の街が見える。
三の鳥居の近くにある<舞殿(神楽殿)>。 あれ?護国神社で舞殿があるのはかなり珍しいのでは。(^▽^)/
舞殿の近くから、社殿を振り返る。やはり大きくて優雅な佇まい。(o^―^o)
二の鳥居の近くにある摂社<山梨宮>(御朱印あり)。
社伝に向かって右側にある忠魂碑。 あれ?画面で何か動いていると思ったら...
野生の鹿が2匹。ゆっくり写真を撮ろうと思ったが、自分と目が合いすぐに逃げられた...(^_^;)
最後に社殿をもう一度。御朱印を拝受できなかったので、また今度再参拝しよう~♪(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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