にしはちまんぐう
西八幡宮山口県 於福駅
参拝自由
かつて京都の石清水八幡宮の社領だった於福町に立つ神社で、平安時代後期に創建されたとされる古社です。春秋の2度行われる7日間の例大祭で農具の大市が開かれることで有名で、「長門美祢の太乃宮農具大市」と呼ばれています。
《一の鳥居》
《表参道》
車で入ることができます。
《二の鳥居》
この左側から社殿左手の駐車場まで進めることができます。
《手水舎①》
水は枯れていました。
《三の鳥居》
《手水舎②》
蛇口式で捻ると水が出ます。
なんか石鉢の穴場の由来みたいなものが後ろにあったんですが、よく読んでもよくわかりませんでした…
《拝殿》
獅子狛犬像が3対並んでいます。なんとなく奥に行くほど風化が進んでいるように見えるので、奉納時期が手前ほど新しいのかなと。
《拝殿内部》🙏
大きな絵馬と扁額が掛けられています。
《本殿》
幣殿で入母屋造の本殿と接続した権現造です。
《猿田彦御神像》
美祢市では末社として猿田彦神さまの御神像が置かれているところが多く、その御神像に家畜と鍬や鋤などを結びつける「猿尾」という縄を掛けて五穀豊穣を祈るという文化があります。
《御神像本体》
👁チェックポイント‼️
特筆すべきは御神像の素材で銅でできています。これは太平洋戦争時代に国家総動員法によって出された金属類回収令によって国家にその素材を回収されるのを免れたという貴重なものです。同じ例だと下関市の長門国一宮住吉神社にある青銅製の狛犬さんはこの法令の対象になって回収されてしまいました。
《参集殿》
普段は無人のようです。
《藤棚と土俵》
猿田彦御神像が当社に遷座してから毎年角力が行われていると神社庁に書かれているのですが、この「角力」というのが相撲の古い言い方だそうで、ここでは神事として行われてるということですね。
名称 | 西八幡宮 |
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読み方 | にしはちまんぐう |
通称 | 太乃宮、八幡様 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0837-56-0244 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主祭神》 誉田別尊 息長帯比売命 市杵島姫命 《配祀神》 伊弉諾尊 伊弉冉尊 |
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創建時代 | 承平元年(931年) |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 権現造 |
ご由緒 | 江戸時代の安永五年(一七七六)に作成された社伝によると、於福庄は平安時代以来、石清水八幡宮の社領であった。そのため、承平元年(九三一)、現在の馬場の下「浜の宮」に社殿を創建し、郷土の護り神様として、山城国(京都)男山八幡宮(石清水八幡宮)のご分霊を勧請し奉祀した。初代大宮司は中原佐渡太夫勝時が奉仕したが、寛仁三年(一〇一九)に、落雷の為に社殿その他を焼失した。そこで現在の地に移建されたが、その時からの建築様式が現在も受け継がれている。特筆すべきことは、春秋二回、七日間の例大祭が執り行われ、その期間農具の大市が開かれることである。このことを人呼んで「長門美祢の太乃宮農具大市」と云っている。また藩政時代、領主志道家代々は崇敬の念が厚く、領主は例祭には必ず自ら参拝し、幣帛料一貫文を献供し御社領として一石八斗を上納された。神社においては、領内の風鎮祭・降雨止雨祭、虫除けの諸祈祷などを執行した。また領主寄進の龍や鯱の彫刻などは、精巧な細工がほどこされ、大きな板に彫刻された随神様と共に、美術的な価値の高いものである。境内社としてご鎮座の猿田彦神銅像は、もともと萩の春日神社に祀ってあったが、江戸時代の天保四年(一八三三)に領主志道家が毛利公に所望されて、この地に遷祀された。この時以来、毎年角力が奉納されている(旧郷社)。[山口県神社庁HP当神社ページより抜粋] |
体験 | 祈祷御朱印祭り |
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