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文福1984
2020年04月03日(金)
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広矛神社(ひろほこじんじゃ)-(若一王子社)

御祭神 
 主祭神 
  大國主神(別称)大己貴神(オオムナチノカミ)
配祀神
  事代主命(コトシロヌシノミコト)
  武御名方命(タケミナカタノミコト)

以下宮尾八幡宮ホームページより抜粋

由緒

もともと若一王子(ビャクイチオウジ、ニャクイチオウジ)神社と称し
鎌倉時代の正応・永仁(1288~98)の頃
同村の柏ノ木に神霊がお降りになったと申伝え
同所に社を建立する。
南北朝時代の建武年中(1334~)の3年に
厚東武実の臣 物部政家による修理とのことが
棟札に記されている
其後、室町時代の文明年中(1469~)
ある日村人が、社辺を葬場としたことがある
すると、その夜宝殿が震動して扉が自ら開いた
村人が驚いてこれを見るうちに御神体は
消え失せた。これを尋ねると
同村椋並平野と言う所に御神体は
無事安座されていた。
村主平氏武辰はその地に社を建て奉斎した
永正の頃(1504~)、金右衛門と言う貧窮で
朴訥なる者に霊示があり
「隣村に天龍の加護する霊場あり、
願わくは我その地に遷らん
汝宜しく比を図れよ」とのお告げがあった
夢さめて村中の人に告ぐるが
村人は怠慢のため之に従わなかった
そのため、神前を馬にて通る者は必ず落馬して
傷つくが、その理由は判らなかった
またまた金右衛門に神託があり
これが神の祟りであることを知った
そこで、同村の定林寺(現在の天龍寺)の住職に請うて大般若経を転読して神慮をなぐさめ
村主の杉重良が宝殿を建てた。
江戸時代の元禄13年(1700)
国司家12代の国司藤原広直が当社を再建する
この柏ノ木、椋並の社跡を古王子と言う。
明治4年(1871)大己貴命外二神を合祀して
広矛神社と改称し、明治42 年、境内社の厳島社
須賀社、若宮社を合併、大正 6年(1917)村社に
同11年(1922)には郷社に昇格。
現在に至っている。
この”広矛”であるが、云われは大国主命の
地方統一伝承にみられ、それは日本書紀の 
葦原中国平定の条に「そして大己貴神は
かって国を平定したときに、杖とされた広矛を
二柱の神に授けて、天孫が、もし、 この矛で国を治められれば、必ず無事に納めることが
出来ましょう」とあることによります。

広矛神社の鳥居
広矛神社の建物その他
広矛神社の建物その他
広矛神社の建物その他
広矛神社の本殿
広矛神社の建物その他
広矛神社の本殿
広矛神社の芸術

本殿

広矛神社の建物その他

境内社 若厳須神社跡?
とあります社殿左側にありました

帰ってホームページで調べたところ
境内社の
若宮社の 若
厳島社の 厳
須賀社の 須
をとっての若厳須神社らしい^ ^

広矛神社の御朱印

こちらは 宮尾八幡宮にて戴きました

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広矛神社の基本情報

住所山口県宇部市大字万倉615
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名称広矛神社
御朱印あり

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