えんせいじ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方円政寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月18日(月) 18時53分44秒
参拝:2025年8月吉日
真言宗御室派 月輪山 円政寺
中国四十九薬師霊場 第33番札所
高杉晋作の生家や木戸孝允旧宅、青木周弼旧宅が建ち並ぶ萩城下町の中にあります。
境内には幼少期の高杉晋作や伊藤博文らが遊んだとされる神馬(木馬)があるのですが、こちらは写真を撮り忘れてしまいました。
もとは建長6年(1254年)、現在の山口市に創建されたお寺なのだそうですが、慶長9年(1604年)に毛利輝元公が萩城を築城の際に、毛利氏の祈願寺として塩屋町に移転。
そして神仏分離令後の明治3年、円政寺の名が惜しまれ、現在地にあった法光院と合併・改称して円政寺となり現在に至るそうです。
こちらには金毘羅社があり、拝殿には大きな天狗の面がかけてあります。
高杉晋作が幼少の頃、家人に連れられてこの天狗の面を見せられ、物怖じしないようにと鍛えられたとか。
そこまで怖い天狗の面には見えないのですが、こちらでいただいたパンフによると、「当時は口ひげやほおひげをぼうぼうとはやし、金色のピカピカする目を光らせていた」とか。
幼い子にしたら、それは恐ろしい顔だったのかもしれませんね。
御朱印は入り口の料金所で書置きをいただくこともできるのですが、直書きを希望する場合は納経所にてご住職が書いてくださるとのことだったので、参拝後に納経所へ。
このお寺の歴史や周辺の出身者の偉人たちのこと、この城下町のことなど色々とお話ししながら御朱印を書いてくださいました。
御詠歌
ありがたや 薬師も見守る
維新のふるさと 城下町はぎ
中国四十九薬師霊場 第33番札所
高杉晋作の生家や木戸孝允旧宅、青木周弼旧宅が建ち並ぶ萩城下町の中にあります。
境内には幼少期の高杉晋作や伊藤博文らが遊んだとされる神馬(木馬)があるのですが、こちらは写真を撮り忘れてしまいました。
もとは建長6年(1254年)、現在の山口市に創建されたお寺なのだそうですが、慶長9年(1604年)に毛利輝元公が萩城を築城の際に、毛利氏の祈願寺として塩屋町に移転。
そして神仏分離令後の明治3年、円政寺の名が惜しまれ、現在地にあった法光院と合併・改称して円政寺となり現在に至るそうです。
こちらには金毘羅社があり、拝殿には大きな天狗の面がかけてあります。
高杉晋作が幼少の頃、家人に連れられてこの天狗の面を見せられ、物怖じしないようにと鍛えられたとか。
そこまで怖い天狗の面には見えないのですが、こちらでいただいたパンフによると、「当時は口ひげやほおひげをぼうぼうとはやし、金色のピカピカする目を光らせていた」とか。
幼い子にしたら、それは恐ろしい顔だったのかもしれませんね。
御朱印は入り口の料金所で書置きをいただくこともできるのですが、直書きを希望する場合は納経所にてご住職が書いてくださるとのことだったので、参拝後に納経所へ。
このお寺の歴史や周辺の出身者の偉人たちのこと、この城下町のことなど色々とお話ししながら御朱印を書いてくださいました。
御詠歌
ありがたや 薬師も見守る
維新のふるさと 城下町はぎ

直書きしていただいた御朱印

入り口には鳥居が見えます

山門

本堂左手前にある大きな石燈籠

山口県最大の高さ5.07m
とても迫力がありました
とても迫力がありました

本堂

金毘羅社

金毘羅社拝殿にかけられている天狗の面

境内に咲いていたこの花は何だろう?と思い調べてみると
モミジアオイという花のようです
モミジアオイという花のようです





おまけ
観光ガイドブックにもよく掲載されている平安古 鍵曲
観光ガイドブックにもよく掲載されている平安古 鍵曲
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。

dorcus






