いみのみやじんじゃ
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忌宮神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年09月26日(火)
参拝:2023年9月吉日
長門国豊浦郡の式内社で、同国二宮です。
元々は第14代仲哀天皇さまが三韓征伐に向かう途中に滞在した行宮「穴門豊浦宮」であり、香椎で天皇さまが神託に背いたため崩御したあとの殯宮の地ともされています。これが現社名の"忌"が指すものであり、郡名の由来元である歴史ある神社です。
元々は第14代仲哀天皇さまが三韓征伐に向かう途中に滞在した行宮「穴門豊浦宮」であり、香椎で天皇さまが神託に背いたため崩御したあとの殯宮の地ともされています。これが現社名の"忌"が指すものであり、郡名の由来元である歴史ある神社です。
《鳥居と灯籠》
《石灯籠》
なんかものすごいアンバランス感を保っています。
なんかものすごいアンバランス感を保っています。
《鬼石》
豊浦宮を営んでいたときに新羅から塵輪という人物が熊襲を煽動して攻め入り、臣下を破るなど攻勢を見せていましたが、天皇自ら弓を引いて討ち、その遺体の周りを皇軍が喜び回る間、鬼のような顔をしていたそうです。
この石の下には塵輪の首が納められているそうです。
例祭の奉射祭で弓を引くのはこの事績に由来します。
豊浦宮を営んでいたときに新羅から塵輪という人物が熊襲を煽動して攻め入り、臣下を破るなど攻勢を見せていましたが、天皇自ら弓を引いて討ち、その遺体の周りを皇軍が喜び回る間、鬼のような顔をしていたそうです。
この石の下には塵輪の首が納められているそうです。
例祭の奉射祭で弓を引くのはこの事績に由来します。
《手水舎》
近づくと水が出ます。
近づくと水が出ます。
《神門》
明治期には国幣小社な列格し、現在は神社本庁下の別表神社となっています。
明治期には国幣小社な列格し、現在は神社本庁下の別表神社となっています。
《由緒書き》
なかなか珍しい名前の祭事が多いですね。
なかなか珍しい名前の祭事が多いですね。
《拝殿》
👁チェックポイント‼️
当社は瀬戸内海沖に飛地境内として満珠島と干珠島を持ち、原生林が天然記念物となっています。この島は神功皇后さまが住吉三神さまから賜った潮干珠と潮満珠からできたという伝承があり、源平合戦の壇ノ浦の戦いでも源氏軍が拠点としたそうです。
👁チェックポイント‼️
当社は瀬戸内海沖に飛地境内として満珠島と干珠島を持ち、原生林が天然記念物となっています。この島は神功皇后さまが住吉三神さまから賜った潮干珠と潮満珠からできたという伝承があり、源平合戦の壇ノ浦の戦いでも源氏軍が拠点としたそうです。
《扁額》
「忌」と聞くと忌避や忌引など悪い意味に感じますが、本来は忌→斎を意味する言葉で清浄を意味します。仲哀天皇さまが崩御され、現在の忌引と同義である「殯」の期間にご遺体を安置する場所として清らかな場所であったことが窺えます。
「忌」と聞くと忌避や忌引など悪い意味に感じますが、本来は忌→斎を意味する言葉で清浄を意味します。仲哀天皇さまが崩御され、現在の忌引と同義である「殯」の期間にご遺体を安置する場所として清らかな場所であったことが窺えます。
《荒熊稲荷神社》
いつもお世話になっておりま(🤛
いつもお世話になっておりま(🤛
《境内の鳩》
授与所にはハトの餌があり、親子連れが買いに向かった途端にまだ買ってもないうちからハトが寄っていって大群になってました。
授与所にはハトの餌があり、親子連れが買いに向かった途端にまだ買ってもないうちからハトが寄っていって大群になってました。
すてき
投稿者のプロフィール
神祇伯1466投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(11/3更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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