あさくらはちまんぐう
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楽しみ方朝倉八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年06月03日(火) 06時46分15秒
参拝:2025年6月吉日
本日の予定は終了しましたが、思いの外順調だったので予定を前倒しして参拝。明日参拝予定の神社は兼務社が多いので、先に参拝しておくと明日のスケジュールに余裕が出てきます。そんな中で今夜の宿に近くてさほど時間を要しないところでピックアップ。時折雨が降って来て嫌な天気。
平安時代の創建の古社で、大内氏14代当主、大内政弘の時代に今八幡宮に合祀遷座されましたが、江戸時代には再びこの地に戻ってきました。現在は今八幡宮とは関係なく、本務社は湯田の熊野神社になります。幕末「七卿落ち」で京より山口へ落ち延びてきた三条実美らが湯田に滞在中、尊王攘夷の祈願のために度々訪れていたといいます。
余談ですが、歴史好きな私は、こちらの神社目を見て戦国時代越前の朝倉氏を思い浮かべてしまいました。全く関係ないんですけど、、、
参拝後拝殿前に書置きの御朱印が用意されていました。想定外でビックリ!しかし温泉神社の分は在庫なしでした。いずれにしても明日は本務社に伺うので良しとします。
平安時代の創建の古社で、大内氏14代当主、大内政弘の時代に今八幡宮に合祀遷座されましたが、江戸時代には再びこの地に戻ってきました。現在は今八幡宮とは関係なく、本務社は湯田の熊野神社になります。幕末「七卿落ち」で京より山口へ落ち延びてきた三条実美らが湯田に滞在中、尊王攘夷の祈願のために度々訪れていたといいます。
余談ですが、歴史好きな私は、こちらの神社目を見て戦国時代越前の朝倉氏を思い浮かべてしまいました。全く関係ないんですけど、、、
参拝後拝殿前に書置きの御朱印が用意されていました。想定外でビックリ!しかし温泉神社の分は在庫なしでした。いずれにしても明日は本務社に伺うので良しとします。

大正三年(1914)奉納の鳥居


燈籠

昭和十七年(1942)奉納の燈籠


手水鉢

石段

常夜灯

文久三年(1863)奉納の燈籠


御神木のイヌマキ

七卿落ちの内四卿歌碑説明板

四卿の歌碑「 朝倉大神宮にまうでて
ゆふたすきかくる祈りはうけよ神 たくしならぬ願なりけり 季知(三条西季知)
ゆふたすきかけて祈るも一すぢに わかまこころを盡すなりけり 実美
すめらきの御國やすうとあさくらの 神よあさゆふ守りてしかな 通禧(東久世通禧)
願ふぞよ世のうき雲を払ふには ただ神風のほかなかりけり 其修(壬生基修)
三条実美しか名前を知りません
ゆふたすきかくる祈りはうけよ神 たくしならぬ願なりけり 季知(三条西季知)
ゆふたすきかけて祈るも一すぢに わかまこころを盡すなりけり 実美
すめらきの御國やすうとあさくらの 神よあさゆふ守りてしかな 通禧(東久世通禧)
願ふぞよ世のうき雲を払ふには ただ神風のほかなかりけり 其修(壬生基修)
三条実美しか名前を知りません

文政八年(1825)奉納の狛犬


拝殿 御祭神:応神天皇・神功皇后・多紀理姫命・多紀都姫命・市杵島姫命

扁額

奉納絵馬



神楽殿

幣殿

本殿


境内社 祇園社


燈籠

境内社鳥居


境内社 四柱神社 明治時代となり、朝倉の天神社、大歳神社、および湯田の三穂神社、温泉神社が合祀されました。こちらは朝倉八幡宮の境内社になります。
すてき
投稿者のプロフィール

サンダー2317投稿
2020年2月に九州旅行の折に熊本城へ行き、復興のつもりで始めました。そんな中、コロナウィルスが流行し100日参りをして病気平癒を願って参拝していましたが、さすがに外出できず途中で断念。 落ち...もっと読む
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