ふるくまじんじゃ
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楽しみ方古熊神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年06月03日(火) 14時42分15秒
参拝:2025年6月吉日
名前から熊野神社と勝手に思い込んでいました。御朱印には古熊天神と記され、初めて気付きました。予習不足!少し市街地を離れます。この地に遷座させたのは毛利氏15代当主、長州藩の初代藩主の毛利秀就。元和四年(1618)のことです。この7年前、慶長十六年(1611)に領地萩に始めて入城したので、領内を収めてひと段落した頃のようです。
御祭神は菅原道真公、及びその子菅原福部童子を拝祀しています。福部童子は11歳のときに、左遷された父を慕って太宰府へ向ったが山口で病で亡くなられました。その為ここに拝祀狭れているのでしょう。天神様で童子を一緒に祀られているのは初めて聞きました。
写真を整理していて社殿がどれがどれだかわからなくなってしまいました、山口の社殿は独特で一体的な造りの為、後から見ると区別がつかなくなってします。一応説明を入れましたが、おそらくなので正確性に欠けます。
社務所に赴き、朝に参拝した八坂神社・築山神社の御朱印も戴けました
御祭神は菅原道真公、及びその子菅原福部童子を拝祀しています。福部童子は11歳のときに、左遷された父を慕って太宰府へ向ったが山口で病で亡くなられました。その為ここに拝祀狭れているのでしょう。天神様で童子を一緒に祀られているのは初めて聞きました。
写真を整理していて社殿がどれがどれだかわからなくなってしまいました、山口の社殿は独特で一体的な造りの為、後から見ると区別がつかなくなってします。一応説明を入れましたが、おそらくなので正確性に欠けます。
社務所に赴き、朝に参拝した八坂神社・築山神社の御朱印も戴けました

社頭

燈籠

社号碑

元禄十四年(1701)奉納の一の鳥居

石段

境内図

文政六年(1823)奉納の狛犬


石段上から

平成二年(1990)奉納の狛犬


台座は昭和三年(1928)奉納のもの

手水舎

手水盤

平成元年(1989)奉納の神馬像

応安六年(1373)(神社公式HP)造営の楼拝殿(重要文化財)資料により建造年は分かれていますが、山口にある楼拝殿の中で最も古いそうです

扁額




楼拝殿側面、翼廊


元和四年(1618)造営の本殿(重要文化財)神社HPでは創建当初、応永六年(1373)よりの建物とされます



本殿

本殿前脇に随神様


本殿後脇に狛犬

神饌所

燈籠

大正十二年(1926)奉納のセメント製狛犬


天保十年(1839)奉納の境内社鳥居



境内社 金刀比羅神社 御祭神:大歳神、相殿:大山祇神、大物主神
初代山口市長・八木宗十郎の願いで建立
初代山口市長・八木宗十郎の願いで建立

菅原道真公詩碑 碑文はよく詠めませんでした。説明書きを見ても漢詩なので良く解りりません
「月耀如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡轉 庭上玉房香」
「月耀如晴雪 梅花似照星 可憐金鏡轉 庭上玉房香」

神馬像


境内社鳥居


石段

眷属の狐


境内社 藤森稲荷神社拝殿 御祭神:倉稲魂神・事代主神・住吉神
この裏の斜面を登ると本殿があったらしいのですが、この時期は鬱蒼と草が生え、雨天の状況で完全に見落としました。
この裏の斜面を登ると本殿があったらしいのですが、この時期は鬱蒼と草が生え、雨天の状況で完全に見落としました。


市内相良小路に鎮座していた藤森さまと稲荷さまを、明治四十一年(1908)古熊神社境内に遷した神社です

稲荷神社からの眺望 この眺望だけで満足

燈籠・石祠

平成元年(1989)奉納の撫で牛

せたけ石

放生池

周辺は日本庭園のようです

池の中に贔屓の上に石碑

奥には燈籠

寛政十二年(1800)奉納の境内社鳥居


境内社 三森神社 御祭神:大歳神・高龗神・闇龗神・柿本神


芭蕉句碑「鸛の巣に嵐の外の桜かな」

三森神社奥にも小径がありましたが、今回は見合わせました

すてき
投稿者のプロフィール

サンダー2317投稿
2020年2月に九州旅行の折に熊本城へ行き、復興のつもりで始めました。そんな中、コロナウィルスが流行し100日参りをして病気平癒を願って参拝していましたが、さすがに外出できず途中で断念。 落ち...もっと読む
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