はぐろさんこうたくじ
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羽黒山荒澤寺のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年11月14日(木)
参拝:2023年10月吉日
山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山に境内を構える、羽黒山荒澤寺(出羽三山)どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は羽黒山、寺号、院号は荒澤寺、宗派は羽黒山修験本宗、
奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場、第十四番札所、
庄内三十三観音霊場、首番札所本尊は聖観世音菩薩、
荘内平和百八観音霊場、首番札所本尊は聖観世音菩薩、
北国八十八ヶ所霊場第三十九番札所、札所本尊は大日如来・阿弥陀如来・聖観音菩薩、東北三十六不動尊霊場、第六番札所、札所本尊は不動明王、荒澤寺の創建は推古天皇14年(606)、蜂子皇子(推古天皇第3皇子)が出羽三山を開山した後に当地で修行を行い、湯殿山に祀った大日如来(湯殿山大権現)の荒魂を「不動明王」、和魂を「地蔵菩薩」として常火堂に祀ったのが始まりと伝えられています。皇極天皇元年(642)、蜂子皇子が入滅すると弟子である弘俊大師が法灯を継承し一庵を設け荒澤寺と称するようになりました。
荒澤寺は湯殿山御宝前、羽黒山奥之院として寺運も隆盛し天智天皇9年(670)には役の行者、養老6年(722)には行基菩薩、大同2年(807)には弘法大師空海、貞観2年(860)には慈覚大師円仁、延慶2年(1309)には心浄坊勝尊が修行に訪れ、往時は境内に聖之院、比之院、経堂院の3院と常火堂、不動堂、地蔵堂、観音堂などが整備されていました。
戦国時代の兵火などで一時荒廃しましたがその後再興され、江戸時代には庄内藩主酒井家は荒澤寺の地蔵堂を祈願所として庇護しました。当初は真言宗に属していましたが、羽黒山別当になった天宥は幕府の重鎮天海大僧正に師事し天台宗に改宗し荒澤寺も天台宗に属するようになりました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により羽黒山は神社となり、多くの仏堂は破却される中、荒澤寺は寺院として継続が許され比叡山延暦寺(滋賀県大津市)の末寺となりました。昭和21年(1946)に独立し羽黒山修験本宗の本山となり現在に至ります
奥の細道みちのく路三十三ヶ所霊場、第十四番札所、
庄内三十三観音霊場、首番札所本尊は聖観世音菩薩、
荘内平和百八観音霊場、首番札所本尊は聖観世音菩薩、
北国八十八ヶ所霊場第三十九番札所、札所本尊は大日如来・阿弥陀如来・聖観音菩薩、東北三十六不動尊霊場、第六番札所、札所本尊は不動明王、荒澤寺の創建は推古天皇14年(606)、蜂子皇子(推古天皇第3皇子)が出羽三山を開山した後に当地で修行を行い、湯殿山に祀った大日如来(湯殿山大権現)の荒魂を「不動明王」、和魂を「地蔵菩薩」として常火堂に祀ったのが始まりと伝えられています。皇極天皇元年(642)、蜂子皇子が入滅すると弟子である弘俊大師が法灯を継承し一庵を設け荒澤寺と称するようになりました。
荒澤寺は湯殿山御宝前、羽黒山奥之院として寺運も隆盛し天智天皇9年(670)には役の行者、養老6年(722)には行基菩薩、大同2年(807)には弘法大師空海、貞観2年(860)には慈覚大師円仁、延慶2年(1309)には心浄坊勝尊が修行に訪れ、往時は境内に聖之院、比之院、経堂院の3院と常火堂、不動堂、地蔵堂、観音堂などが整備されていました。
戦国時代の兵火などで一時荒廃しましたがその後再興され、江戸時代には庄内藩主酒井家は荒澤寺の地蔵堂を祈願所として庇護しました。当初は真言宗に属していましたが、羽黒山別当になった天宥は幕府の重鎮天海大僧正に師事し天台宗に改宗し荒澤寺も天台宗に属するようになりました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により羽黒山は神社となり、多くの仏堂は破却される中、荒澤寺は寺院として継続が許され比叡山延暦寺(滋賀県大津市)の末寺となりました。昭和21年(1946)に独立し羽黒山修験本宗の本山となり現在に至ります
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