曹洞宗光国山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方勝伝寺のお参りの記録一覧

山形県 鶴岡市 播磨己 に境内を構える、光国山 勝伝寺、2023.10月に出羽百観音、庄内三十三観音霊場巡礼にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 光国山、寺号 院号は 勝伝寺、宗旨 宗派は 曹洞宗、ご本尊は 聖観世音菩薩、庄内三十三観音霊場 第二十三番札所、荘内平和百八観音霊場 第六番札所、札所ご本尊は どちらも 聖観世音菩薩 (みごもり観音)出羽百観音 の一つ、勝伝寺の創建は不詳ですが開山は耕雲寺(新潟県 村上市:越後四ケ道場)7世の審厳正察禅師(宮城県 仙台市にある 輪王寺出身、耕雲寺の住職に就任すると末寺の開山に尽力)で、延徳3年(1491年)に勝伝寺で死去している事から室町時代中期頃に開かれたと思われます。天正年間播磨の国飾磨の城主赤松則村が足利氏と争ったがみじめな敗戦に終わったので、赤松の家臣兵庫之守、図書之守などが羽黒を頼って奥羽に落ちて来た。また故郷をしのんで播磨と改め八幡大菩薩を祀り、鶴岡をはじめ西は湯野浜まで侵した。兵庫、図書の両者が仲間割れし図書が一時地頭になったが、領民との間に不和が生じ、図書もまた没落するなど血生ぐさい下剋上の時代を過ごして、その後羽黒から天台宗宝蔵院と、当寺ともども現在の播磨に居をかまえることになり、この地を開墾してようやく生活も安定することができたという。上杉、最上、酒井と三世を乗り切つてきた。特に最上義光の帰依深く寺領安堵の黒印を賜わった。酒井藩時代には総穏寺を総緑所として里五ケ寺の筆頭となり、天神堂、善阿弥、湯ノ沢、文下長崎面野山、林崎その他一カ所に君臨してきた。天正年間(1573~1593年)播磨国(現在の 兵庫県 南西部)守護大名赤松家が没落すると家臣である兵庫之守や図書之守などが出羽三山の羽黒山に流れ着き、さらに 羽黒山 配下の天台宗 宝蔵院 と共に当地を与えられ出身地に因み播磨の地名が付けられたとされます。
御詠歌の「はりまなる・・・」も播磨を因んだもので、赤松家の家臣の苦悩と仏に対する信仰心を詠っていると思われます。







山形県のおすすめ2選❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ




























4
0