真言宗豊山派高寺山
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楽しみ方照光寺のお参りの記録一覧

山形県 鶴岡市 羽黒町 高寺字 南畑 に境内を構える、高寺山 照光寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2023.10月に 出羽百観音、庄内三十三観音霊場巡礼にて参拝致しました、参拝者を労う良い対応の寺院様、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 高寺山、寺号 院号は 照光寺、宗旨 宗派は 真言宗 豊山派、ご本尊は 千手観世音菩薩、庄内三十三観音霊場 第三十番札所、荘内平和百八観音霊場 第二十七番札所 札所ご本尊はどちらも 千手観世音菩薩、出羽百観音 の一つ、札所 照光寺の創建は元正天皇の御代である養老2年(718)、出羽三山を開いたとされる蜂子皇子(能除太子:崇峻天皇の第3皇子)が鎮護国家の祈願所として開山したのが始まりとされます。その際、蜂子皇子は酒田湊に流れ着いた霊木の本木から照光寺の本尊、中木から薬王山東光寺(酒田市飛鳥)の本尊、末木から羽黒山の本尊を彫刻しそれぞれ安置し庄内三大権現と称されました。
照光寺の本尊は中尊の千手観音、脇仏の十一面観音と軍茶利明王で構成されている三尊像で、当時(高寺大権現)は大型で立派な像だったとされましが安政4年(1857)の火災により堂宇、記録と共に一部を焼失し、その後再刻されています。
古くから雷電神社と神仏習合し羽黒山修験の支配下として寺運も隆盛し往時は高寺十三坊と称されていました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により雷電神社とは離れ仏像や仏具などが照光寺に移されています。
照光寺山門に安置されている木造金剛力士立像(那羅延金剛像・密跡金剛像)は元々羽黒山手向にあった下居堂に祀られ、山形城の城主最上義光の死を予言したとの伝説が残されている像で平成5年(1993)に鶴岡市(旧羽黒町)指定有形文化財(彫刻)に指定されています。寺宝が多く照光寺三体佛、正観世音菩薩坐像、阿弥陀如来坐像、大日如来坐像(胎蔵界)が平成7年(1995)に鶴岡市(旧羽黒町)指定有形文化財(彫刻)に指定されています









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