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山形県鶴岡市黒川宮の下に境内を構える、寺尾山 法光院、2023.10月に出羽百観音、庄内三十三観音霊場巡礼にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は寺尾山、寺号、院号は法光院、宗派は真言宗智山派、ご本尊は如意輪観世音菩薩、庄内三十三観音霊場、第七番札所、荘内平和百八観音霊場、第二十八番札所、出羽百観音の一つ、法光院の創建は文徳天皇の御代である仁寿3年(853)、当時の領主藤原常嗣によって開かれたのが始まりとされます。
当初は源心山宝光院と称し六所神社(山形県鶴岡市黒川字仲村)の別当寺院として現在の山形県鶴岡市黒川椿出付近に境内を構えていました。その後、春日神社の別当になると現在地に移り、当地は寺尾山だった事から山号を寺尾山に改め、その後、寺号を法光院に改めています。
春日神社は当地域の産土神として歴代領主から崇敬庇護され、武藤家からは社領93石、山形城(山形県山形市)の城主最上家からは慶長17年(1612)に社領56石、最上家が改易後に庄内藩(藩庁・鶴ヶ岡城)の藩主となった酒井家も社領56石を引き続き安堵し、法光院も一山を率いる立場として寺運も隆盛し、酒井家に謁見出来る御目見格を与えられました。
正徳年間(1711~1715年)に大恵和尚(羽黒山荒沢寺)により庄内三十三観音霊場第31番札所に選定されましたが、その後理由不詳により解除になっています(酒井家の祈願所だった事が理由の1つとされます)。明治時代初頭に発令された神仏分離令により明治8年(1875)に春日神社から分離し、昭和に入って再び庄内三十三観音霊場の札所に選定されています
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