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耕田院の日常(393回目)山形県羽前大山駅

「明日は我が身」

投稿日:2024年02月28日(水)
輪橋山徒然話 2024-2-28  「天罰」には即時性はない「明日は我が身」

◆「悪いことをしても、なぜあの人にはバチがあたらないのか。」
子どもの頃に、曽祖母に聞いたことを思い出した。

◆「バチ」とは「天罰」のことである。

◆その時、曽祖母は、「バチ」は「悪いこと」をしている最中は当たらないものだといった。もし今までバチが当たっていないのならば、後々に、それは、それは大きなバチが下されるものだと。そもそもバチがあたらない人はいないのだよと…。

◆子どもであろうと大人であろうと、一つや二つバレないでよかったと思う「秘密」はあるものだ。だからその時の私はびっくりした。

◆そして、曽祖母は加えた。もしも、すぐバチが当たったなら、それは「よき天の導き」なのだと。小さな罰で済んだのだからよかったでしょうと。だから、すぐにバチが当たったと分かったらば、「よかった」「ごめんなさい」、そしてすぐ改めることが大事だと。それはそうと、自分から謝るほうがいいのだと頭を撫でられた。

◆「明日は我が身」は私の曽祖母の「天の導き」を教えていた。こんな話だ。

「明日は我が身」

長く患っている老婆がいた

初めは機嫌良く世話していた家族だが、だんだんと心がこもらなくなった。
食器も、布団も、寝巻きも、食事も…粗末になっていった。

ある日、老婆はあの世に旅立った
お葬式が終わると女は「片付けるのを手伝ってちょうだい」と子どもに言った。

子どもは大きな箱を持ってきて一つひとつ入れ始めた。
女は子どものやることが、どうも腑におちない。

◉「おまえはなぜ、その布団と食器を捨てないのか」
すると子は言った。

「お母さん、家にはそんなぼろぼろの布団はありません。寝巻きも食器もありません。たった1組ずつしかないものを、全部捨ててしまったら、後でいるようになったら困るじゃありませんか」

「後でいるなときに困る?そんな物、だれが使うの」

◆女は、ますます不審に思う。

「だれでも、いつまでも若いのではないのです。全部、お母さんの分ですよ」
「どうして!わたしがそんなものを」

「それはお母さんが年寄りになったときです。」
「布団も食器も寝巻きもがなかったら、困るじゃありませんか」

「わたしがお母さんのお世話をします」

「ああ、私は子どもに、粗末にされる定めにあるのか」

がくぜんとして我が身を振り返った女は、老婆を丁寧に弔ったそうだ。

◆曽祖母は、「バチ」は「悪いこと」をしている間は当たらないものだといった。忘れてならないのは、因果応報。よい行いはよい結果となり、悪い行いは悪い結果となって本人に返ってくる。これがこの世の道理なのだ。悪を成せば「バチ」は必ず待っている。しかし、いつ来るかはわからない。これを応報に即時性はないというのだ。

◆「明日は我が身」の応報は、何十年か後、老いた時に、大きな「バチ」となって愛する子どもによって下されるということなのだ。

◆つまり、今、バチがあたらないのは、まだまだ悪徳を積み上げているところだからだ。そして、悪業を全て積み重ねし終わった時に、その罪に似合う「ひどい報い」をうけるのだ。

◆オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ。

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耕田院(山形県)

すてき

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