耕田院の日常(376回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2024年02月10日(土)
輪橋山徒然話 2024-2-10 「こころは何処にあるの?」
◆「こころは何処にあるの?」と聞くと、予想通り「胸」を子どもたちは指さす。理由を聞くと緊張すると、その辺りがドキドキするし、悲しいときは胸が痛くなるという。
◆「心」は心臓の形を描いた「象形文字」だ。よく見ると4つの部屋と弁になる。心は心臓にあるという根拠としては完璧だ。そういえば、英語もHeartを「❤️」と書く。
◆しかし、それでは心は心臓にあるのか。それは違うと思う。
◆なぜならば、病気で心臓が病んだ人の心は壊れないからだ。心臓に病を持つ人の心は、それが原因で病むことはない。病むとしたら別の理由で病むのだ。
◆仮に、治療で一時人工心臓に置き換えたら、その患者の心は無くなるのかと考えればよい。もちろん、そんなことはない。このことからも「心」が心臓はでないことがよくわかる。
◆さて、体のどこに「心」があるのだろう。
◆それとも、「心」そのものはないのだろうか。いや、私たちには、感情があり、思考があり、他者との深い関係を築きたいという「気持ち」がある。これを「心」というならばそれは存在する。
◆無くすと「心」が消えるもの、人工の臓器に絶対に置き換えることのできないもの。その考え方でいけば、それは「脳」だ。
◆その証拠にアルツハイマー病にかかれば、記憶が失われ、やがては正しい判断が難しくなる。ちなみに、この病の原因は主に大脳皮質という脳の部分に存在している神経細胞が失われていくことによって生じる。
◆つまり、脳に欠陥が生まれることで、その人が呆けたり、人格さえも変わってしまう。「心」が変わるのだ。
◆脳が私たちに「心」という、感情や思考というツールを与えているのだ。
◆さて、この「心」は私たちをしばしば翻弄する。
◆例えば「心のままに」ということばがある。けれどもそれで満足するのは一瞬だけのこと。「心がわり」はしょっちゅうだ。なぜなら「心」は、「こころ」。コロコロ転がるから「こころ」というのだから。あっちへいったり、こっちにもどってきたり、ボールのように。
◆さて、自分の「心」はどこかにあるのではなく「置く」のだという話を聞いた。
→続く
#心は大山
#輪橋山徒然話
#土門拳
#古寺巡礼
#広隆寺
#土門拳記念館
#こころ
#心はどこにある
#コロコロ転がるから
◆「こころは何処にあるの?」と聞くと、予想通り「胸」を子どもたちは指さす。理由を聞くと緊張すると、その辺りがドキドキするし、悲しいときは胸が痛くなるという。
◆「心」は心臓の形を描いた「象形文字」だ。よく見ると4つの部屋と弁になる。心は心臓にあるという根拠としては完璧だ。そういえば、英語もHeartを「❤️」と書く。
◆しかし、それでは心は心臓にあるのか。それは違うと思う。
◆なぜならば、病気で心臓が病んだ人の心は壊れないからだ。心臓に病を持つ人の心は、それが原因で病むことはない。病むとしたら別の理由で病むのだ。
◆仮に、治療で一時人工心臓に置き換えたら、その患者の心は無くなるのかと考えればよい。もちろん、そんなことはない。このことからも「心」が心臓はでないことがよくわかる。
◆さて、体のどこに「心」があるのだろう。
◆それとも、「心」そのものはないのだろうか。いや、私たちには、感情があり、思考があり、他者との深い関係を築きたいという「気持ち」がある。これを「心」というならばそれは存在する。
◆無くすと「心」が消えるもの、人工の臓器に絶対に置き換えることのできないもの。その考え方でいけば、それは「脳」だ。
◆その証拠にアルツハイマー病にかかれば、記憶が失われ、やがては正しい判断が難しくなる。ちなみに、この病の原因は主に大脳皮質という脳の部分に存在している神経細胞が失われていくことによって生じる。
◆つまり、脳に欠陥が生まれることで、その人が呆けたり、人格さえも変わってしまう。「心」が変わるのだ。
◆脳が私たちに「心」という、感情や思考というツールを与えているのだ。
◆さて、この「心」は私たちをしばしば翻弄する。
◆例えば「心のままに」ということばがある。けれどもそれで満足するのは一瞬だけのこと。「心がわり」はしょっちゅうだ。なぜなら「心」は、「こころ」。コロコロ転がるから「こころ」というのだから。あっちへいったり、こっちにもどってきたり、ボールのように。
◆さて、自分の「心」はどこかにあるのではなく「置く」のだという話を聞いた。
→続く
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すてき
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