耕田院の日常(344回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年08月30日(水)
輪橋山徒然話2023/7/20
◆例えば「星の王子さま」がある。
◆著者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、王子さまと出会う主人公を通じて、大人たちの忘れがちな純真さと愛を思い出させてくれる。美しい挿絵は、読み手を異なる星の旅へと誘い、特に、人間の真実や価値観、友情、責任について、読むたびに新たな気づきと問いに向き合うきっかけを与えてくれる。
◆哲学的で、難しいテーマであるが、読み聞かせをすると子どもたちは黙って聞いている。これがまたよいのだ。ダイジェスト版の絵本もあり、5歳児でも、「どうして〜だろう」と考えながら聞いているようにも見える。そして、彼らは本を閉じると眠りにつく。
◆さて、絵本を見ていると琴線に触れることがある。どこだろうと絵本に込められたメッセージを探す。絵を手掛かりに読み解き、文に戻り、あるいはその逆を繰り返す。実はこの読み解きの瞬間が楽しいのだ。この試行錯誤があること。それが大人の絵本の条件なのだ。
◆そんな大人の絵本をもう一冊見つけた。
◆題は「ちいさなあなたへ Someday」2007 アメリカ
文 アリスン・マギー 絵 ピーター・レイノルズ 訳 なかがわ ちひろ
◆キャッチはこのようになっていた。
「我が子への愛情と想いを綴った絵本。ここに出来上がっているのは、祖母から母へ、母から子へ、その愛情の連鎖。一言で言うと、祖母から母へ、母から子への命のリレー綴った物語だ。」
◆初めの文章は優しい気持ちにしてくれる。
「あのひ、わたしは あなたの ちいさな ゆびを かぞえ、その いっぽん いっぽんに キスを した。」
◆そして、シンプルな文と柔らかいタッチの絵が続く。主人公は出産を終えたママとその赤ちゃんだ。二人の物語がはじまる。
「はじめて ゆきが ふった ひ、 そらへ むけて だきあげた あなたの まあるい ほっぺのうえで、 ゆきが とけていった。」
「わたしの あかちゃんは わたしの こどもに なった。スヤスヤとゆめをみている あなたをみながら わたしもときどき ゆめをみる」
◆ここからの母親の語尾の表現が「〜だろう」に変わる。未来の子どもへの彼女の願い・祈りがスタートする。彼女の語る願いは、自分の大人になる経験に照らし合わせているのたろう。我々だれにでもあること、共感できる。
◆たとえば彼女の言葉の中には「ひんやりと透き通った湖の水の中へ飛び込んだ時の感動」があり、「もっと高くもっと高くとはずみをつけてめまいがするほど遠くまで自分を試す」ことである。少女時代の回想だ。
◆そして、次の表現だ。解説によれば実は編集者はこの文章を入れることを躊躇したそうだ。作者は「絶対に必要だ」と入れた文章が「ほのぐらい もりへ さまよいこむことも あるかもしれない」「かなしい しらせに みみを ふさぎたくなる ひも あるだろう」の二つ。この言葉を入れることで、誰しも、そこで一旦立ち止まり、母親の願い・祈りへの深い共感が生まれる。
◆やがて、彼女は娘が家を出て、やがて小さな命を授かり母となり…。
ぜひこの本の最後のページを読んでほしい。
最期の場面に、脈々とした命の営みを実感することになるだろう。
★☆★☆★☆★☆★☆
◯寂聴さんはいう。
お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげて下さい、と言う。
◯瀬戸内寂聴さんは、「利他の心」を最初に教えるのは親であるといっているのだと思う。今の学校教育では「たとえ、語ることはできても」教えられない徳目だからこそ、親が教えねばならないのだ。
それがまぁるい心と社会を育てるのです。
いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ
◆例えば「星の王子さま」がある。
◆著者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、王子さまと出会う主人公を通じて、大人たちの忘れがちな純真さと愛を思い出させてくれる。美しい挿絵は、読み手を異なる星の旅へと誘い、特に、人間の真実や価値観、友情、責任について、読むたびに新たな気づきと問いに向き合うきっかけを与えてくれる。
◆哲学的で、難しいテーマであるが、読み聞かせをすると子どもたちは黙って聞いている。これがまたよいのだ。ダイジェスト版の絵本もあり、5歳児でも、「どうして〜だろう」と考えながら聞いているようにも見える。そして、彼らは本を閉じると眠りにつく。
◆さて、絵本を見ていると琴線に触れることがある。どこだろうと絵本に込められたメッセージを探す。絵を手掛かりに読み解き、文に戻り、あるいはその逆を繰り返す。実はこの読み解きの瞬間が楽しいのだ。この試行錯誤があること。それが大人の絵本の条件なのだ。
◆そんな大人の絵本をもう一冊見つけた。
◆題は「ちいさなあなたへ Someday」2007 アメリカ
文 アリスン・マギー 絵 ピーター・レイノルズ 訳 なかがわ ちひろ
◆キャッチはこのようになっていた。
「我が子への愛情と想いを綴った絵本。ここに出来上がっているのは、祖母から母へ、母から子へ、その愛情の連鎖。一言で言うと、祖母から母へ、母から子への命のリレー綴った物語だ。」
◆初めの文章は優しい気持ちにしてくれる。
「あのひ、わたしは あなたの ちいさな ゆびを かぞえ、その いっぽん いっぽんに キスを した。」
◆そして、シンプルな文と柔らかいタッチの絵が続く。主人公は出産を終えたママとその赤ちゃんだ。二人の物語がはじまる。
「はじめて ゆきが ふった ひ、 そらへ むけて だきあげた あなたの まあるい ほっぺのうえで、 ゆきが とけていった。」
「わたしの あかちゃんは わたしの こどもに なった。スヤスヤとゆめをみている あなたをみながら わたしもときどき ゆめをみる」
◆ここからの母親の語尾の表現が「〜だろう」に変わる。未来の子どもへの彼女の願い・祈りがスタートする。彼女の語る願いは、自分の大人になる経験に照らし合わせているのたろう。我々だれにでもあること、共感できる。
◆たとえば彼女の言葉の中には「ひんやりと透き通った湖の水の中へ飛び込んだ時の感動」があり、「もっと高くもっと高くとはずみをつけてめまいがするほど遠くまで自分を試す」ことである。少女時代の回想だ。
◆そして、次の表現だ。解説によれば実は編集者はこの文章を入れることを躊躇したそうだ。作者は「絶対に必要だ」と入れた文章が「ほのぐらい もりへ さまよいこむことも あるかもしれない」「かなしい しらせに みみを ふさぎたくなる ひも あるだろう」の二つ。この言葉を入れることで、誰しも、そこで一旦立ち止まり、母親の願い・祈りへの深い共感が生まれる。
◆やがて、彼女は娘が家を出て、やがて小さな命を授かり母となり…。
ぜひこの本の最後のページを読んでほしい。
最期の場面に、脈々とした命の営みを実感することになるだろう。
★☆★☆★☆★☆★☆
◯寂聴さんはいう。
お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげて下さい、と言う。
◯瀬戸内寂聴さんは、「利他の心」を最初に教えるのは親であるといっているのだと思う。今の学校教育では「たとえ、語ることはできても」教えられない徳目だからこそ、親が教えねばならないのだ。
それがまぁるい心と社会を育てるのです。
いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。