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耕田院の日常(337回目)山形県羽前大山駅

悩みも苦も救いの縁なり

投稿日:2023年08月03日(木)
◆「苦」とは、「悩み」とは自分を成長させる「縁」をいただくことなのだ。

◆その「縁」を活かすポイントは「レジリエンス」である。レジリエンス(resilience)とは、脆弱性(ぜいじゃくせい)の反対の概念であるが、鋼のような強さでだけはなく、しなやかさを表している。

◆人生には苦も楽も付きものである。しかし、この「苦」といわれるものの受け止め方は皆それぞれ違う。苦を苦として受け止められる人、受け止めることができずにその場から立ち去る人。「苦」のない人も人生もそんなものは存在しない。

◆ここで注目したのは、レジリエンスを育てるということだ。

◆レジリエンスは自発的治癒力を意味する。回復力、復元力、跳ね返りなどとも訳される。つまり、心の健康を保つということだ。もともとは物理学の用語であり、「外力による歪みを撥ね返す力」として使われ始めたそうだ。レジリエンスとは、困難にぶつかった時に、撥ね返し、乗り越える力なのである。

◆この力はもって生まれた力ではない。つまり、後天的に育つ力である。「苦や悩み」とはそれを克服するレジリエンスを育てるきっかけ、つまり「縁」とも言えるのだ。

◆ノーベル賞を受賞した山中伸弥博士にこんなエピソードがある。

◆博士は高校生の頃は部活動で柔道をしていたそうだ。

ある時、教育実習に来られた柔道3段の大学生の方に稽古をつけてもらったことがありましてね。投げられた時に、私は負けるのが悔しくて受け身をせずに手をついたんです。で、腕をボキッと折ってしまった。

その先生は実習に来たその日に生徒を骨折させたということで、とても慌てられたと思うんです。私が病院で治療を終えて帰宅すると、早速その先生から電話がかかってきて、母親が出ました。

その時、「申し訳ないです」と謝る先生に対して、母親は何と言ったか。「いや、悪いのはうちの息子です。息子がちゃんと受け身をしなかったから骨折したに違いないので、気にしないでください」と。

◆なぜ、逆に山中博士のお母さんはあやまったのだろう。それは、「悪いのはうちの息子」と山中博士の「自業自得」を見抜いたのだ。この「自業自得」を山中博士は「身から出たサビ」ということばに変えて大事にしているそうだ。

◆そして、山中博士は「身から出たサビ」と「おかげさま」の二つがレジリエンスの本質だという。

◆つまりこういうことだ。

人間は兎角、うまくいったら「俺が頑張ったからだ」って思って、うまくいかないと「ああ、みんなが手伝ってくれないからだ」と思ってしまう。そう考えてしまうと、うまくいかなくなったときに解決策がないというか、立ち直る術がなくなってしまう。-略-

◆失敗した時に、自分に原因があると自然にそう思える人が、立ち直れるというのだ。逆に人のせいにしたのでは、自力で失敗を乗り越えることは難しくなる。つまり、「縁」が途絶えてしまうということなのだ。

◆成功したことは自分の力ではなく「おかげさま」、失敗は人のせいではなく「身から出たサビ」。これが山中博士のいうレジリエンスを育て方なのだ。

◆現代社会は、全くは逆のクレーム社会。例えばこどもに骨折など大問題になりかね無い。しかし、「自分ごと」として考えず「誰かのせい」と考えるようではレジリエンスが育たちはしないのだ。

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◯瀬戸内寂聴さんはいう。

いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。すべてに感謝しましょう。

◯今までの経験も、これから経験することも「あなた」をつくる糧、「経験をよき縁」にしてほしいという願いが込められていることばだ。

◯「全てに感謝する心」。これは「□△○」の角の一つを消し去り、「よりよく生きること」につながる。そして、そこには確かな「レジリエンス」があるはずだ。

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