耕田院の日常(334回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年07月28日(金)
「欠気一息」で自分の心にアプローチする 輪橋山徒然話 2023/7/11
◆「ひきこもる」とか「鬱にのみこまれる」とは、無縁の人間だと思っていても、「眠れないな」「食欲がないな」「だるいな」とか身体に変化があれば要注意だそうだ。自分は大丈夫だと甘く見ることなく、いつでも丁寧に自分の心に向き合うことを忘れてはならない。
◆だから、丁寧に自分の心に向き合う方法、マイナスに振れた気持ちを転換する術を知っていることは、この厳しいストレス社会・世の中を生きていく上では大切だ。
◆その術の一つに「欠気一息(かんきいっそく)」がある。実は欠気一息とは坐禅に入る前に呼吸を調える方法である。
◆簡単にいうと、深呼吸だ。深く息を吐き、ゆっくりと息を吸うだけのことだ。しかし、これを繰り返し、意識することで自然に、自らの呼吸が大きく深くなっていく。今まで、浅く、はやかった呼吸が深く、ゆっくりと変えていく。このことを呼吸が調(ととの)っていくという。興奮して、浅くなっていた呼吸を深く、ゆったりとした呼吸に導いていくのだ。この時心も落ち着きを取り戻しているはずだ。
◆この状態は、呼吸を調えることで、心が調っていくことだと理解できる。つまり、身体的機能である呼吸にアプローチすることで、心に「よき」変化が生じさせることができるのだ。
◆試してみよう。
◆「欠気一息」とは、まず、鼻から大きく空気を吸い込む。次に、口から吐き出す。肺で呼吸をするのではなく、腹式呼吸を意識する。一息とあるが、数回おこなってみる。この時、口から吐くときに少し口をすぼめて身体の奥から方から空気を出すようにするとよい。さすれば、自然に呼吸が深くなっていく。自然に変わっていく自らの呼吸を味わっていくのだ。この時、背筋もまっすぐに伸びているはずだ。そして心は、例えば怒りに満ちた感情も、不安に苛まれていた心とも無縁の状態に近づいていくのだ。
◆「欠気一息」は、魔法の術ではないが、我々の人生に襲いかかる荒波の中で、自らを保つための一つの術になりうるのだ。この術をそれぞれが試し、あるいは鍛えていただきたいと思う。「欠気一息」が「それを言ってはおしまい」のその一言を飲み込ませ、その愚かさにも気がつかせる瞬間もあるはずだ。
◯さて、瀬戸内寂聴さんは「怒りを鎮める努力」を説く。
理不尽なことが多い穢土(えど)に住んでいる以上、私たちは怒りを鎮める努力をしなければなりません。読経や写経、巡礼、坐禅など、自分にできることからやってみましょう。
◯読経、写経、巡礼、坐禅。やはり心を鎮める術は「体からのアプローチ」にあるようだ。
そして、怒りをおさめる術は「□△○」の角を無くして、「よりよく生きること」につながるのだ。
※写真は7月に1回目の庄内刺し子の会
いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
◆「ひきこもる」とか「鬱にのみこまれる」とは、無縁の人間だと思っていても、「眠れないな」「食欲がないな」「だるいな」とか身体に変化があれば要注意だそうだ。自分は大丈夫だと甘く見ることなく、いつでも丁寧に自分の心に向き合うことを忘れてはならない。
◆だから、丁寧に自分の心に向き合う方法、マイナスに振れた気持ちを転換する術を知っていることは、この厳しいストレス社会・世の中を生きていく上では大切だ。
◆その術の一つに「欠気一息(かんきいっそく)」がある。実は欠気一息とは坐禅に入る前に呼吸を調える方法である。
◆簡単にいうと、深呼吸だ。深く息を吐き、ゆっくりと息を吸うだけのことだ。しかし、これを繰り返し、意識することで自然に、自らの呼吸が大きく深くなっていく。今まで、浅く、はやかった呼吸が深く、ゆっくりと変えていく。このことを呼吸が調(ととの)っていくという。興奮して、浅くなっていた呼吸を深く、ゆったりとした呼吸に導いていくのだ。この時心も落ち着きを取り戻しているはずだ。
◆この状態は、呼吸を調えることで、心が調っていくことだと理解できる。つまり、身体的機能である呼吸にアプローチすることで、心に「よき」変化が生じさせることができるのだ。
◆試してみよう。
◆「欠気一息」とは、まず、鼻から大きく空気を吸い込む。次に、口から吐き出す。肺で呼吸をするのではなく、腹式呼吸を意識する。一息とあるが、数回おこなってみる。この時、口から吐くときに少し口をすぼめて身体の奥から方から空気を出すようにするとよい。さすれば、自然に呼吸が深くなっていく。自然に変わっていく自らの呼吸を味わっていくのだ。この時、背筋もまっすぐに伸びているはずだ。そして心は、例えば怒りに満ちた感情も、不安に苛まれていた心とも無縁の状態に近づいていくのだ。
◆「欠気一息」は、魔法の術ではないが、我々の人生に襲いかかる荒波の中で、自らを保つための一つの術になりうるのだ。この術をそれぞれが試し、あるいは鍛えていただきたいと思う。「欠気一息」が「それを言ってはおしまい」のその一言を飲み込ませ、その愚かさにも気がつかせる瞬間もあるはずだ。
◯さて、瀬戸内寂聴さんは「怒りを鎮める努力」を説く。
理不尽なことが多い穢土(えど)に住んでいる以上、私たちは怒りを鎮める努力をしなければなりません。読経や写経、巡礼、坐禅など、自分にできることからやってみましょう。
◯読経、写経、巡礼、坐禅。やはり心を鎮める術は「体からのアプローチ」にあるようだ。
そして、怒りをおさめる術は「□△○」の角を無くして、「よりよく生きること」につながるのだ。
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すてき
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