耕田院の日常(333回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年07月27日(木)
「脳が記憶を改ざんする」とは 2023/7/10 輪橋山徒然話
◆脳が記憶を改ざんするとは、一体どういうことなのだろうか。改ざんとは、文書や記録の一部または全部に無断で手を加え、修正や変更を行うことを指す。そして、脳の改ざんとは、記憶があとから新たな要素を加えられ、新しい記憶が植え付けられることを意味するのだ。
◆この事実は実に衝撃的である。しかし、心理学者のエリザベス・ロフタスが行った「ショッピングセンターの迷子記憶実験」という研究は、この点を裏付ける重要な証拠となっている。
◆ロフタスの学生たちは、14歳の弟Aに、彼が子供の頃に起きた出来事について4つの事例を提示し、それに関する思い出を毎日、日記に記すよう依頼した。しかしながら、その中に、5歳の時に「ショッピングセンターで迷子になった」という、事実ではない「つくり話」を混ぜ込んだのである。
◆「つくり話」の概要は以下の通りである。
◆学生たちはAに問いかけた。「幼い頃、ショッピングモールで迷子になったということを覚えているかね?」これは明らかな作り話であり、Aは当然ながら「迷子になったことはない」と答える。
◆しかし、それから親や兄が続けて「その日はとても暑かった」「白いポロシャツを着た髭のおじいさんがお前を家まで送ってくれた」といった具体的なエピソードを話し始める。
◆すると、Aは「ああ、そうだった」と思い出すのである。最初の日記には、「親切なおじさん」という記憶が記され、数週間後には、「白いシャツ」ではなく青いフランネルのシャツを着ていたことや、頭が少し禿げておりメガネをかけていたといった、細部まで描写されるようになった。
◆つまり、実際には起こらなかった出来事を思い出すようになったのである。「シャツは白ではなく青のフランネルだった」といった具体的な記憶を自らが創作し始めるのだ。
◆この「偽りの記憶」を植え付ける効果は強力であり、実験が終了した後でも、真実が明かされても、弟は「そんなことはない、自分は本当に迷子になった。しっかりと思い出せる」と強く主張するのであった。
◆この実験は18歳から53歳までの24人に対して行われ、実際に経験した3つの出来事については68%の人々が即座に何らかの思い出を抱いた。しかし、偽の出来事については、それを思い出したのは29%に過ぎなかった。この29%と68%という明確な差異が生まれたが、重要なのは、実際には経験していない出来事について、約3割の人々が何らかの思い出を抱くという点である。
◆ではなぜ、こうしたことが起こるのだろうか。
◆経験していない出来事が突如として記憶に入り込むというわけではない。子どもの頃に迷子になったり、母親に叱られたり、不安を感じたり、誰かに親切にされた経験は誰にでもあったはずだ。それらの「記憶の要素」が、エピソードとしての「ショッピングモールの迷子」実験に合致するように集められ、結びついていったのだ。ここに「忘れていた記憶の復活」のメカニズムがある。そして、それが事実として認識されてしまうのだ。
◆私たちの脳は、一度保存すれば勝手に書き換えられることはないビデオやデジカメ、ハードディスクとは違うのだ。
◆遠い日の思い出が甘美なものになっていくとはこういうことなのだ。「偽りの記憶」と言いながらも「記憶の要素」が織りなす「思い出」は、純度の高い最高の作品なのかもしれない。
◯さて、瀬戸内寂聴さんは「互いに許し許され」と説く。
「人間は互いに許し許されて生きています。自分のことも、相手が随分と我慢してくれているのだと考えてみましょう。」
◯あなたが誰かと「互いに許し許され」の関係を築けたのは、常に互いの「随分な我慢」があったからだ。これが道理だ。その上で、自分の脳には「自分の我慢」よりも「相手の我慢」を感謝とともに記憶したほうが幸せだ。それは「□△○」の角を無くして、「よりよく生きるための術」の一つでもある。
※写真は、家人の畑は今年も豊作だ。きゅうりと茄子とミニトマト、先日のたまねぎ。畑で収穫を待つじゃがいも上出来で機嫌がよいのは有難い。
いつもニコニコハラタテマイゾヤソワカ
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
◆脳が記憶を改ざんするとは、一体どういうことなのだろうか。改ざんとは、文書や記録の一部または全部に無断で手を加え、修正や変更を行うことを指す。そして、脳の改ざんとは、記憶があとから新たな要素を加えられ、新しい記憶が植え付けられることを意味するのだ。
◆この事実は実に衝撃的である。しかし、心理学者のエリザベス・ロフタスが行った「ショッピングセンターの迷子記憶実験」という研究は、この点を裏付ける重要な証拠となっている。
◆ロフタスの学生たちは、14歳の弟Aに、彼が子供の頃に起きた出来事について4つの事例を提示し、それに関する思い出を毎日、日記に記すよう依頼した。しかしながら、その中に、5歳の時に「ショッピングセンターで迷子になった」という、事実ではない「つくり話」を混ぜ込んだのである。
◆「つくり話」の概要は以下の通りである。
◆学生たちはAに問いかけた。「幼い頃、ショッピングモールで迷子になったということを覚えているかね?」これは明らかな作り話であり、Aは当然ながら「迷子になったことはない」と答える。
◆しかし、それから親や兄が続けて「その日はとても暑かった」「白いポロシャツを着た髭のおじいさんがお前を家まで送ってくれた」といった具体的なエピソードを話し始める。
◆すると、Aは「ああ、そうだった」と思い出すのである。最初の日記には、「親切なおじさん」という記憶が記され、数週間後には、「白いシャツ」ではなく青いフランネルのシャツを着ていたことや、頭が少し禿げておりメガネをかけていたといった、細部まで描写されるようになった。
◆つまり、実際には起こらなかった出来事を思い出すようになったのである。「シャツは白ではなく青のフランネルだった」といった具体的な記憶を自らが創作し始めるのだ。
◆この「偽りの記憶」を植え付ける効果は強力であり、実験が終了した後でも、真実が明かされても、弟は「そんなことはない、自分は本当に迷子になった。しっかりと思い出せる」と強く主張するのであった。
◆この実験は18歳から53歳までの24人に対して行われ、実際に経験した3つの出来事については68%の人々が即座に何らかの思い出を抱いた。しかし、偽の出来事については、それを思い出したのは29%に過ぎなかった。この29%と68%という明確な差異が生まれたが、重要なのは、実際には経験していない出来事について、約3割の人々が何らかの思い出を抱くという点である。
◆ではなぜ、こうしたことが起こるのだろうか。
◆経験していない出来事が突如として記憶に入り込むというわけではない。子どもの頃に迷子になったり、母親に叱られたり、不安を感じたり、誰かに親切にされた経験は誰にでもあったはずだ。それらの「記憶の要素」が、エピソードとしての「ショッピングモールの迷子」実験に合致するように集められ、結びついていったのだ。ここに「忘れていた記憶の復活」のメカニズムがある。そして、それが事実として認識されてしまうのだ。
◆私たちの脳は、一度保存すれば勝手に書き換えられることはないビデオやデジカメ、ハードディスクとは違うのだ。
◆遠い日の思い出が甘美なものになっていくとはこういうことなのだ。「偽りの記憶」と言いながらも「記憶の要素」が織りなす「思い出」は、純度の高い最高の作品なのかもしれない。
◯さて、瀬戸内寂聴さんは「互いに許し許され」と説く。
「人間は互いに許し許されて生きています。自分のことも、相手が随分と我慢してくれているのだと考えてみましょう。」
◯あなたが誰かと「互いに許し許され」の関係を築けたのは、常に互いの「随分な我慢」があったからだ。これが道理だ。その上で、自分の脳には「自分の我慢」よりも「相手の我慢」を感謝とともに記憶したほうが幸せだ。それは「□△○」の角を無くして、「よりよく生きるための術」の一つでもある。
※写真は、家人の畑は今年も豊作だ。きゅうりと茄子とミニトマト、先日のたまねぎ。畑で収穫を待つじゃがいも上出来で機嫌がよいのは有難い。
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すてき
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