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耕田院の日常(332回目)山形県羽前大山駅

「幸」その字源は手枷(かせ)足枷(かせ)という話

投稿日:2023年07月26日(水)
「幸」の名誉に関わることにもなりそうだが、  輪橋山徒然話 2023/7/9

◆子どもの頃、内容は忘れてしまったが、アラジンの魔法のランプやにんじんに混じって別格の一冊があった。表紙は、西洋の騎士がかぶる鉄の鎧だった。題名は「鉄仮面」といった。

◆この鉄仮面は、映画にもなっている。

◆『仮面の男』(The Man in the Iron Mask 1998年アメリカ)。デュマの『ダルタニャン物語』をベースに、ルイ14世と鉄仮面伝説、老いた三銃士の復活と活躍、王妃とダルタニアンの秘めた恋。

◆鉄仮面は国王の双子の弟だ。そのために仮面を外すことができないという設定だ。悪政の兄ルイ14世と入れ替わるという話だ。

◆この鉄仮面は実在の人物だという。

◆やはり、その顔は常にベールで覆われ、本人がそれを外そうとしたら殺すよう周囲は命令されていたという。

◆しかし、それ以外は非常に優遇され、ギターを弾く自由さえも与えられていたという。 また、その世話は監獄長らが自ら行い、陸軍大臣や軍司令官も彼に対しては恭しい態度で臨んだと記録される。

◆仮面さえつけていれば、手枷・足枷もなく、自由は制限されるが命を取られる事はない。

◆この手枷・足枷(てかせ・あしかせ)は囚人などの手や足にはめてその自由を奪う刑具のことをいうが、しあわせを意味する「幸」は、その成り立ちが罪人の「手枷の象形」という説がある。

◆なぜ「幸」の成り立ちが、「しあわせ」と似つかわしくない「手枷の象形」のだろうか。

◆漢字のふるさとである中国の刑罰は酷かったという。例えば「五刑」。刺青→鼻切→足切→去勢→死がある。

◆手足に枷を付けられている状態ならまだ残虐な目に遭わない。つまり罪人として刑罰で苦しむことに比べればずっとよいのだ。手枷・足枷はそれを付けていることが「生きながらえる保障」なのだ。だから手枷・足枷をつけることを幸せと考えたのだ。

◆今の私たちはどう考えればよいだろう。

◆答えは身につけるのではなく、心に何かを纏うことだ。それは、たとえばルールや道徳、あるいは「仏のこころ」ではどうだろう。

◆目には見えない仏のこころを身に纏い、戒め、生きることで幸せにつなげていくのだ。

◯さて、瀬戸内寂聴さんも「神仏の眼を畏れること」を説く。

「私達人間は悪いことをしますが、誰も見ていないと思うからする訳で、神や仏が常に自分を見ていると畏れを感じられれば、犯罪や戦争は無くなるはずです。」と。

◯「神仏の眼を畏れること」も「見えない仏のこころを身に纏い戒める」はと同じことだ。それは「□△○」の角を無くして、「よりよく生きるための術」の一つでもある。

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