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耕田院の日常(304回目)山形県羽前大山駅

「天知る、地知る、我知る」

投稿日:2023年06月27日(火)
「天知る、地知る、我知る」と「おせっかい」について考える。2023/6/12 輪橋山徒然話

◆誰も知るまいと思っても天が見ているぞ。地も知っているぞ。自分自身も知っている。誰も知るまいと思っていることでも、必ず誰かが知っているのだ。不正・悪事は、いつかは必ずバレるものだ。

◆「天知る、地知る、我知る」とは、後漢の楊震が王密から金十斤をおくられ、「誰も知っている者はいませんから」といわれたのに対して答えたことば。賄賂を断るときに言ったという。

◆高橋恵おせっかい協会代表理事は、もっと肯定的に捉えている。

「天知る、地知る、我知る。どんなに貧しくなろうとも、心まで貧しくなってはいけません」
苦しい生活の中でお母さんが繰り返し唱えていた言葉だそうだ。

◆高橋恵さんはこんなエビソードをお持ちだ。

「何で戦死してしまったの。手がなくても足がなくても、生きて帰ってきてほしかった!」
そう泣き叫ぶ母のそばで、10歳の高橋さんは、姉と妹とともに、一緒に泣いていた。
私(高橋恵)は先の戦争で父親を亡くし、母は苦労して3人姉妹を育てた。母はその苦労に耐えかねて、無理心中寸だったそうだ。

その時、家の玄関に1枚の紙切れを挟んでいてくださった方がいた。その紙には、「あなたには3つの太陽(3人の子供)があるじゃありませんか。いま、雲の裏に隠れていても、必ず光り輝く時が来るでしょう。それまではくじけないで頑張ってください」と書いてあった。この一枚の紙切れが親子は無理心中を思いとどまらせたそうだ。

◆見て見ぬふりをしない社会が高橋さん親子を救った。どんなに忙しくとも、人を想う心さえあれば、たった一言の言葉、たった一枚の紙切れでも、人を救うことができるのだということが高橋さんの原点だ。

◆さて、「おせっかい」言われるのが嫌で思いやりの心を届けることを「躊躇」していないだろか。「おせっかい協会」とは人間の思いやりの大切さを、もっと多くの人に知ってほしいと願いから生まれた協会なのだ。ひとりひとりが孤立した無縁社会へのアプローチなのだ。

◆「おせっかい」とは、「出しゃばって世話を焼くこと」「不必要に人の事にたちいること」というマイナスのイメージが強い。しかし、相手を思う心まで封じ込める必要はない。相手を思う行動や言動が消極的になり、できあがっものは「無縁社会」という味気ない、寂しい社会である。

◆よく「どんな人にも長所があり、短所がある。忘れてはならないのは、短所が長所であったり、長所が短所だったりすることだ」という。なるほどそうか。「おせっかい」も実はそのような言葉なのだ。

◆「おせっかい」は、言葉を取り換えれば「気遣い」だ。子どもの頃「おせっかい」といわれて死にたくなったことがあったが、やっぱり目を背ける人より「おせっかい」と言われても、気遣い、心遣いが無縁社会をつなぐ力になるのだと信じたい。どんなに貧しくなろうとも、心まで貧しくなってはいけない。

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