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耕田院の日常(303回目)山形県羽前大山駅

議論しない、してはならぬと言い聞かせていた坂本龍馬

投稿日:2023年06月26日(月)
北の国に帰れなかった白鳥がたった一羽残っていた。大山下池ラムサールの湿地だ。今の時期の白色は際立つ   輪橋山徒然話 6月10日 

◆全仏テニスで失格問題があった。猛抗議をして日本選手を失格させることに成功したヨーロッパペア。声の大きいものが「猛抗議」し、結局自分たちの思い通りにした。

◆実際の学校や職場でありがちな光景に見えた。

◆しかし、この話には続きがあって、猛抗議をして日本選手を失格に成功した後「ほくそ笑む姿」がSNSにアップされてしまう。このあとヒールとしてのレッテルが貼られてしまうのだろうか。

◆声の大きいもの「猛抗議」とは「キレる」とか「モンスターペアレンツ」とかと同種類だ。
ゆとりがなくなってくると、人間は弱い方向へ「アツ」をかけ、自らを保とうとする。もともと人間はそういう本質をもっているのだろう。北の国の争いもそういうことかもしれない。一旦切れた関係は元にはもどらないし、そこには新たな信頼関係は生まれない。

◆そして、一旦キレたら、昔の青春ドラマのように、お互いに泣いて非を認め合うなどということは期待できない。

◆さて、司馬遼太郎さんは坂本龍馬を評して次のように言った。

竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。もし議論に勝ったとせよ。相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生き物だし、負けた後、持つのは、負けた恨みだけである。(龍馬が行く)

◆「声の大きいもの」と「声の大きくして」の議論など「してはならぬ」のだ。そもそもコミュニケーションとは相手を屈服させることではないことを竜馬は知っていたのだ。それが竜馬のもとに敵味方様々な人間が集まり、維新の原動力となった。

◆では、どうしたらいいのだろう。もちろん黙りこみ、卑屈になり、ストレスを溜め込む必要はない。

◆この解決策としてよく聞くのが「アサーション」だ。

◆脳科学者の中野信子さんに「世界の頭のいい人がやっていることを一冊の本にまとめてみた」というちょっぴり辛口で非常に長い題名の本がある。この本で「アサーション」を非常にわかりやすく説明していた。

◆例えば、身に覚えのないことで怒られたりして嫌な思いをしたとする。

◆この時逆切れをして、怒っている相手に怒鳴り返すのは攻撃的な態度、口をつぐんで本当は自分は何の罪もないのに「ごめんなさい」と謝ってしまうのは受け身的な態度だ。それに対してアサーティブな態度は「私はそのようなことをした覚えがないのですけど、あなたからはそのように思われているのでとても悲しいです」などと言うことで、相手を責めもしなければ自分を卑屈にすることもない自分の素直な気持ちを伝える態度だ。

◆「あなたがそんなことを思うなんて」とか、「あなたはどうしてそんなふうに思うのですか」などの言い方ではなく、「私はそんなふうに思われて悲しい」というように、あくまで私を主語する言い方に徹するのが「アサーション」の秘訣だ。

◆重要なのは相手を尊重しつつ、自分を主語にして、自分の意見を伝えることなのだ。そのことが相手も大事、自分ももちろん大事という「アサーション」だ。

◆寂聴さんも戒めている。
人間の心には常に恨みが渦巻いています。あの人にいじめられた。この人に傷つけられた。とい記憶はなかなか消えない。そのくせ、自分が人を傷つけたことはすぐに忘れるのです。
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耕田院(山形県)

すてき

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