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耕田院の日常(289回目)山形県羽前大山駅

「一生ってそういうことだったんだ…」

投稿日:2023年06月11日(日)
四人の女性に学ぶ「人生百歳の生き方」輪橋山徒然話2023/5/27

◆四人の女性とは、「70歳のたしなみ」の坂東真理子さん、「60歳のトリセツ」の黒川伊保子さん、画家の堀文子さん、そして瀬戸内寂聴さんだ。貫くキャッチは「一生ってそういうことだったんだ…」(黒川伊保子さん)でいこうと思う。

◆「『人生古来稀なり』、杜甫の詩から70歳のことを古希というが、これは人生50時代の年齢観であるという。この尺度はほとんどの人が到達する通過点でしかない。」と「女性の品格」の坂東真理子さんはいう。

◆原因はこの30年間の寿命の延びが急速すぎたこと。そのために、「常識と実感の乖離が生まれ、個人個人は皆戸惑っている」のが実態であるという。おまけに、定年や年金。制度がどんどん変更されている。

◆私も今頃になってようやく人生70年のものさしでは矛盾だらけであることにようやく気がついた。どうやら人生100年、少なくとも90年と本気で考え、「一生ってそういうことだったんだ…」の全体像を再構成する時期にあるようだ。

◆さて、坂東真理子さんは、「世話をする期間」と「世話をされる期間」の人生割合を提示している。それが6(8対2)対3対1という割合だ。この考え方は筋が通っていると思うので紹介しよう。

◆これは人生の時間配分のことである。6割は社会に出て何らかの仕事をする。3割はそのための準備期間や学習研修。乳幼児として世話をしてもらう期間と看護・介護を受けるのが残りの1割。

◆もしも、90歳まで生きるのであれば、6割は50年〜55年となる。そのうちフルタイムで働き税金や社会保険料を払うのは8割程度の40〜45年。残りの2割はパートで働いたり、孫の世話をしたり、ボランティアをする。これが(8対2)ということだ。

◆実際当てはめると22歳で働き始め、50年というと72歳。つまり、70代で働くのは当然なのだということになる。坂東真理子さんは、超高齢化社会日本は、「高齢者が高齢者を支えるモデル社会」として、「世界のお手本に」とまでいう。

◆そのようにあるには、70歳になったら自分はもう立派な高齢者、十分に経験を積み、立派な見識を持ち、これ以上成長する可能性がないなどと思ったら大間違いだという。生き方、働き方、考え方を示したのが「70歳のたしなみ」なのだ。

◆この「70歳のたしなみ」を後押しする考え方がある。「脳の賞味期限28歳まで、30超えると老化が始まる」説ではなく、「脳のピークは56歳から始まる(脳の科学者の黒川伊保子さん)」である。(明日へ続く)

◆そして、100歳を生き抜き、年代ごとに脱皮を繰り返し、時代を魅了した二人の女性芸術家がいた。一人は瀬戸内寂聴さん、もう一人は堀文子さんだ。

恥知らずの国に成り下がり、
品位を失ったこの国で死ぬのは嫌だ

と堀文子さん、当時69歳。なんとイタリア・フィレンツォで単身アトリエを構えた。

◆彼女は「いつも未知の谷に飛び込むこと。不安の中に身を置いて、昨日をぶち壊していくということ」という。その信条は「群れない」「慣れない」「頼らない」。100年人生を賭け抜いた彼女のことばも紹介していきたい。

◆そして、今日のまとめ。

源氏物語の一節をとり、瀬戸内寂聴さんはおっしゃる。

さかさまに行かぬ年月よ
老いは、えのがれぬわざなり

誰にも逃れることができない老いと死。そうであるならば、せめてできるかぎり美しく老い、美しく死のうではありませんか。

人生100年生き抜いた人の紡ぐことばはいつも重い。

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耕田院(山形県)

すてき

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