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耕田院の日常(267回目)山形県羽前大山駅

「念彼観音力」

投稿日:2023年05月07日(日)
「念彼観音力」

そういえば、梅も桜も早かった今春は「うぐいす」の声をとんと聞かなかった。
かなかった。
寂聴さんの句に 
寂庵に初音うぐひす普門品

という句がある。

この普門品とは「法華経第八巻第二五品の観世音菩薩普門品の別称」であり、その中の「普門品偈」には、「念彼観音力(ねんぴーかんのんりき)」という経文が繰り返しでてくる。

さて、今日はこの「念彼観音力」の「間」を授かるという話をしよう。

「白隠禅師と男の話」

達磨図で有名な白隠禅師にある者が尋ねた。

「あなたが怒ったところを私はついぞ見たことがない。いったい、あなたは腹が立たないのですか」

まあ普通の人間だったら、「俺は修養を積んでいるから腹の立つわけがないと得意げに答えるでしょう。」ところが白隠禅師は違った。

「馬鹿言うな。私は土の人形ではない。生きているのだ。だから一日のうち何遍も腹が立つことがある。」

「でも、あなたが怒ったところは見たことがありません。」

白隠禅師は、一日に何遍も腹を立てていると言うのだが、白隠禅師が怒ったのを見たことはないという。いったいどういうことなのだろう。

「私は腹を立てるか、お前のように怒らんだけだ。」

「?」

どうも、腹を立てると怒るは別のことなのであるようだ。

腹を立てる意味とは

「観音経入門」の中で松原泰道老師はずばり解釈されている。

「生きている限り煩悩はつきまといます。腹も立ちます。腹を立てるのは大切です。いや腹の立て方が大切です。」と。

松原老師は続ける。「もしも、腹を立てなかったら、社会の不正を正す意欲を起きません。自分のだらしなさに立腹してこそ奮発心も起きるのです。だから白隠禅師は、腹を立てると言われるのです。」つまり、怒ると腹を立てるでは次元が違うのだと。松原老師は立腹をどう転化するか、別次元にもっていくか教えている。

立腹を噛み締める「間」の中で

そして、大事なのは立腹を噛み締める「間」が大切であるという。観音経にある「念彼観音力」と念ずればその「間」を授かることができると老師は教えている。

「念彼観音力」と念じる「間」とともに、(なすべきことは)

「じっと静かに相手に教えるべきか」
「相手を憐れむべきか」
「自分を反省すべきか」

と立腹を噛み締めよと。

「念彼観音力」がカッカカッカの怒りの心を治め、その立腹を処理する知恵であると。それによって他者に対する「慈悲」へも、自分への「戒め」にも転化するのだ。つまり、それをもって別次元といっている。

煩悩とは渋柿の「渋(しぶ)」

そもそも煩悩とは渋柿の「渋(しぶ)」であると松原老師は喩える。

もしも渋が柿になかったら、干した柿はすぐに腐ってしまう。しかし、寒風にさらされた渋柿は白い粉を吹き、甘い柿に生まれ変わる。渋柿の「渋」が干し柿の「甘さ」にかわるということだ。

「渋」あってこ「甘さ」であり、「煩悩」があってこその「さとり」があるというのである。
  
※ 「観音経入門」もう一人の自分の発見 松原泰道老師 「怒りと欲望」を参考にしました。

いつもニコニコ 一筆啓上  深呼吸 曽祖母のおまじない「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦」と「念彼観音力」。「今日も腹の立て方を誤ってしまった輪橋山の和尚の徒然話」。
耕田院(山形県)

すてき

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