耕田院の日常(266回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年05月04日(木)
橋山徒然話 2023/5/2
◆相談にしろ手紙にしろ、そこで気づくのは「(他人が)許せない」という気持ちに苦しんでいる人が多いということ。でも人間を許すことができるのは仏様や神様だけですよ。
瀬戸内寂聴さんのことばである。
◆「人は、どこまで人を許せるのか」ということについて考えた。
◆塩見志満子先生のお話だ。先生は、現在学校をご退職されて愛媛県西条市にある知的障碍者のための通所施設「のらねこ学かん」の代表をなさっている。
◆先生は、高校教師時代に小学二年生のご長男を白血病で亡くされた。そして、ご二男も夏のプール事故に遭ってしまう。長男が亡くなって8年後の同じ7月だったそうだ。勤めていた高校から駆けつけたが、ご二男はもう冷たくなっていたという。
◆込み上げる怒り
子供たちが集まってきて 「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」 と。
「どうしたんや」と聞いたら、10分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれたそうだ。
「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社やテレビ局が来て、大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら駆けつけてきました。
◆「心臓麻痺で死んだという診断書」
(主人は)私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。」
◆「わしら二人が我慢しようや」
「わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら二人が我慢しようや。うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。 だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。それで許したんです。友達も学校も……。』
◆「許してあげてよかったなぁ」
こんな時、男性は強いと思いましたね。でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。
争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる……。許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の7月2日に墓前に花がない年が一年もないんです。30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。
◆「優しい人を育てること」
もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。そういう人が生活する町にはできなかった。心からそう思います。
『致知』2022年5月号より 抜粋
◆わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。
マハトマ・ガンジーの言葉である。
◆ただ許す、勘弁するのではない。人は、絶望の中にあっても、全身全霊を持って神・仏のように「許しを与える」ことができるのだ。
◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経
ブログとHP↓
lit.link/oyama1049
◆相談にしろ手紙にしろ、そこで気づくのは「(他人が)許せない」という気持ちに苦しんでいる人が多いということ。でも人間を許すことができるのは仏様や神様だけですよ。
瀬戸内寂聴さんのことばである。
◆「人は、どこまで人を許せるのか」ということについて考えた。
◆塩見志満子先生のお話だ。先生は、現在学校をご退職されて愛媛県西条市にある知的障碍者のための通所施設「のらねこ学かん」の代表をなさっている。
◆先生は、高校教師時代に小学二年生のご長男を白血病で亡くされた。そして、ご二男も夏のプール事故に遭ってしまう。長男が亡くなって8年後の同じ7月だったそうだ。勤めていた高校から駆けつけたが、ご二男はもう冷たくなっていたという。
◆込み上げる怒り
子供たちが集まってきて 「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」 と。
「どうしたんや」と聞いたら、10分の休み時間に誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと話してくれたそうだ。
「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社やテレビ局が来て、大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら駆けつけてきました。
◆「心臓麻痺で死んだという診断書」
(主人は)私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。」
◆「わしら二人が我慢しようや」
「わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら二人が我慢しようや。うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。 だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。それで許したんです。友達も学校も……。』
◆「許してあげてよかったなぁ」
こんな時、男性は強いと思いましたね。でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。
争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる……。許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の7月2日に墓前に花がない年が一年もないんです。30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。
◆「優しい人を育てること」
もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。そういう人が生活する町にはできなかった。心からそう思います。
『致知』2022年5月号より 抜粋
◆わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。
マハトマ・ガンジーの言葉である。
◆ただ許す、勘弁するのではない。人は、絶望の中にあっても、全身全霊を持って神・仏のように「許しを与える」ことができるのだ。
◆いつもニコニコ、一筆啓上付箋写経
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すてき
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住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
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