耕田院の日常(252回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年04月20日(木)
◆中学の国語の教科書に牟礼慶子さんの「見えないだけ」という詩がある。
見えないだけ 牟礼慶子
空の上には
もっと青い空が浮かんでいる
波の底には
もっと大きな海が眠っている
胸の奥で
ことばがはぐくんでいる優しい世界
次の垣根で
蕾をさし出している美しい季節
少し遠くで
待ちかねている新しい友だち
あんなに確かに在るものが
まだここからは見えないだけ
◆思春期、4月、ようやくスタートし、戸惑う子らに向けたメッセージだ。
◆「空の上のもっと青い空」「波の底の大きな海」は必ずあり、少し心を広げれば感じられる「胸の奥の優しい世界」「次の垣根の美しい季節」も「待ちかねている友だち」も「見えないだけ」だよ。「も少し」がんばれと励ましている。一度や二度の失敗で心を萎ませるなと。
◆発明王トーマス・エジソンもこんな言葉を残している。
世の中に無駄なものはない。
楽な道を歩もうとする人は多い。
楽して儲けようとする人も多い。
需要と供給の関係から明らかなように、
そのような人には 平凡な結果しか待っていない。
◆「世の中に無駄なものはない」はまさに禅の教えでもあるし、「需要と供給の関係」をもってくるとは、さすがにエジソンである。
◆もう一つ。
私は失敗したことがない。
ただ、10000通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
◆「無駄な努力をしたくない」という「効率偏重の人間」は、「希望持てなくっていく」というアンケート調査があるそうだ。失敗するようなアプローチは排除。そのような「効率重視」に偏ってしまうと、本来持てるはずのも働く意欲・学ぶ意欲・やる気そのものが失われるということだ。「現状維持」の先には、進歩も発展も明るい未来もない。「無駄」「無意味」のことばが「見えないもの」を益々見えなくしてしまう。
◆江戸時代の高僧、白隠禅師のことばに「擔雪塡井 雪を擔(にな)って 井を填(うず)む」がある。
◆「雪を運んで井戸を埋めるような事は、無駄なことかもしれないが、その無駄だと思えるような行為こそ尊いのだ」という意味である。この白隠禅師の「擔雪塡井」をエジソンの言葉で説明すると飲み込める。
◆「雪を運んで井戸を埋めるような事」とは、エジソンの10000回の実験である。その実験は無理・無駄のように見えるが、その一万通り「うまく行かない方法」の上に「成功」があるのだ。つまり、10000回失敗し、その理由を明らかにしてこそ成功なのだ。
◆禅の修行も私たちの人生も10000回の挑戦の上にある。無駄だと思えるような、その行為こそ尊いのだ。世の中に無駄なものなど、一つもないのだ。
◆「いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。すべてに感謝しましょう」と寂聴さんも説いてはいるではないか。
見えないだけ 牟礼慶子
空の上には
もっと青い空が浮かんでいる
波の底には
もっと大きな海が眠っている
胸の奥で
ことばがはぐくんでいる優しい世界
次の垣根で
蕾をさし出している美しい季節
少し遠くで
待ちかねている新しい友だち
あんなに確かに在るものが
まだここからは見えないだけ
◆思春期、4月、ようやくスタートし、戸惑う子らに向けたメッセージだ。
◆「空の上のもっと青い空」「波の底の大きな海」は必ずあり、少し心を広げれば感じられる「胸の奥の優しい世界」「次の垣根の美しい季節」も「待ちかねている友だち」も「見えないだけ」だよ。「も少し」がんばれと励ましている。一度や二度の失敗で心を萎ませるなと。
◆発明王トーマス・エジソンもこんな言葉を残している。
世の中に無駄なものはない。
楽な道を歩もうとする人は多い。
楽して儲けようとする人も多い。
需要と供給の関係から明らかなように、
そのような人には 平凡な結果しか待っていない。
◆「世の中に無駄なものはない」はまさに禅の教えでもあるし、「需要と供給の関係」をもってくるとは、さすがにエジソンである。
◆もう一つ。
私は失敗したことがない。
ただ、10000通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
◆「無駄な努力をしたくない」という「効率偏重の人間」は、「希望持てなくっていく」というアンケート調査があるそうだ。失敗するようなアプローチは排除。そのような「効率重視」に偏ってしまうと、本来持てるはずのも働く意欲・学ぶ意欲・やる気そのものが失われるということだ。「現状維持」の先には、進歩も発展も明るい未来もない。「無駄」「無意味」のことばが「見えないもの」を益々見えなくしてしまう。
◆江戸時代の高僧、白隠禅師のことばに「擔雪塡井 雪を擔(にな)って 井を填(うず)む」がある。
◆「雪を運んで井戸を埋めるような事は、無駄なことかもしれないが、その無駄だと思えるような行為こそ尊いのだ」という意味である。この白隠禅師の「擔雪塡井」をエジソンの言葉で説明すると飲み込める。
◆「雪を運んで井戸を埋めるような事」とは、エジソンの10000回の実験である。その実験は無理・無駄のように見えるが、その一万通り「うまく行かない方法」の上に「成功」があるのだ。つまり、10000回失敗し、その理由を明らかにしてこそ成功なのだ。
◆禅の修行も私たちの人生も10000回の挑戦の上にある。無駄だと思えるような、その行為こそ尊いのだ。世の中に無駄なものなど、一つもないのだ。
◆「いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。すべてに感謝しましょう」と寂聴さんも説いてはいるではないか。
すてき
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