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耕田院の日常(230回目)山形県羽前大山駅

悲しみの受け止め方

投稿日:2023年03月27日(月)
写真は、上が普賢さまと下が文殊さまです。

本日は、悲しみの受け止め方について考えたい。

◆穏やかすぎる彼岸の中日の日和だった。梅の蕾が一つ二つ咲いたのが中日の前日。それがもう、5分咲にも思えるほどだ。このように毎年、北国の春は一斉にやってくる。

◆瀬戸内寂聴さんに、「日にち薬」ということばがある。

「どんな悲しみや苦しみも必ず歳月が癒してくれます。そのことを京都では『日にち薬(ひにちぐすり)』と呼びます。時間こそが心の傷の妙薬なのです」と。

◆深い悲しみや苦しみを、ただ時間が忘れさせるということではない。

◆こんな話を聞いた。

◆60後半の彼は、長年連れ添った奥さまに先立たれた。突然だった。

◆彼はこんなことを語った。

◆どんなに嘆いてもこの事実、「妻が死んだ」ということは変えることはできない。そのことは、頭では理解していても、心が受け入れることができない。だから、生きる気力が湧くはずもないのだと。それでも、こんなことではいけないと思ったし、先に逝った妻にも、家族にも申し訳ないと思っていたという。

◆それは「絶望」とでも呼ぼうか。

◆その頃の時間の過ぎようは本当にゆっくり。1日、1時間、1分、1秒がかみしめるように過ぎていったという。いつ終わるかわからない長い道のりのように思えたそうだ。まるで入り口の見えない暗いトンネルを歩くようなものであったろう。

◆「いなくなってからでは遅いですね。もっと大事にしてやればよかった。」

◆答えの見えない堂々巡りが続く。

◆そんな日々の中にいた時、こんな話をしてもらったそうだ。

◆夫婦といっても、人間だから、どちらかが先に死んで行かなければならない。もしも、逆の立場だったらどうだろうと。つまり、奥さまでなくて、あなたが先に逝っていたら、今頃奥さん、あなたのように一人ぼっちで苦しんでいたかもしれないと。

◆この話が、妻に先立たれた男の気付きを生んだ。そして、「妻の死を受け入れる」きっかけになったのだ。

◆その時、このような思いが湧いたと言う。夫婦なら、必ず、どちらかが先に亡くなって、取り残される寂しさを味わわなければならない。今まで幸せだった分、その苦しみも大きいはずだ。もしも、立場が逆だったら、妻が今の自分の状況だったらなんとかわいそうなことだろうと。

◆「そんなかわいそうなことにならなくてよかった」と彼は思ったそうだ。

◆どちらかが味わわなければならない苦しみを、妻ではなく、今、自分が受けている。妻ではなく、自分が代わりに受けていると思えたときに、本当にこれでよかった、妻の代わりに自分が、寂しくとも、一人で生きているのだと思えたそうだ。

◆それ以来、別の世界へ旅立ったように思えた妻が、なんだかそばで応援してくれているようにも思えてきたという。

◆妻を亡くしたという事実は何にも変わらないのだが、「自分が愛する人の代わりにひとりぼっちになった」という思いが「心に落ち着く・心に据えられた」ことで、悲しみを抱えながら、前に一歩踏み出せたという。

◆起きてしまった事実を変えることはできない。しかし、その事実をどう受け止めるかは変えることができる。寂聴さんの「日にち薬」とは、「悲しみや苦しみ」が、時間とともに、次第に「落ち着くところ」に「落ち着く」という意味なのである。

◆人は生きていく以上様々な「悲しみや苦しみ」にぶつかる事は避けられない。しかし、同時に「悲しみや苦しみ」を「受け入れ、整え」乗り越えていくことで、その人はそれ以前よりも強くなり、また優しくなれるのだ。

◆「深呼吸と一筆付箋写経」心を清々しく保つための術として。今日も一日オンニコニコで。

あなたの朝にアプローチ。「ああなあさここ」でした。
耕田院(山形県)

すてき

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