耕田院の日常(188回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年02月13日(月)
◆はじめに言葉ありき、「加齢臭」という言葉が出現して、突然加齢臭を意識しました。それまではただのおじいさんおばあさんがいただけだ。
◆これは、読売歌壇での次の句への評だ。この句の作者は、岩間啓二さん。選者と評は小池光さんだ。
名がなくば 誰も意識はらぬものが この世にはある加齢臭など
◆「このように言葉が意識を呼び起こし、ことさら忌まわしいレッテルを貼るようになると、それまで意識の外だったものがしゃしゃり出て、余計な想像を駆り立ててさらに悲観的になってしまいます。」(多胡輝 100歳になっても脳を元気に動かす習慣術)
◆多胡輝さんは、「言葉が意識を呼び起こし、ことさら忌まわしいレッテルを貼る」ことを強く戒めている。そういえば「加齢臭」とは近年の言葉のようにも思える。きっと、何かをきっかけにして、閾値(しきいち)が下がってしまったのだ。
◆閾値【しきい値 / スレッショルド】とは、境界となる値。その値を境に、上下で意味や条件、判定などが異なるような値のことをいう。私が思うに加齢臭の「臭」という漢字が原因で、閾値が下がり、忌み嫌われるターゲットになってしまったと思う。
◆そもそも、加齢臭とはいかなるものであるのだろう
◆「加齢臭」は、50代半ば以降から、脂成分が酸化されることで発生する。胸や背中などの体幹部を中心に発生し、枯草のようなニオイが特徴だ。皮脂に含まれる脂肪酸「パルミトレイン酸」が増加し、空気中の酸素により皮脂が酸化され、ノネナールという成分に変化し「加齢臭」のニオイの成分なるのだそうだ。
◆誰にでも起こる「ニオイ」とすれば、これほど、めくじら立てて非難することでもないように思うが「臭い」とすると我慢できないもののように変わる。「言葉」の力は恐ろしい。
◆このように、嗅覚で感じられる“におい”の場合、よい“におい”は「匂い」、不快な“におい”は「臭い」と書く。しかし、“におい”は人によって快・不快の感じ方が違う。無理に漢字を使わず、ひらがな(場合によってはカタカナ)で書いてもよいのだ。そして、清潔志向の現代において「臭い」は最悪のレッテルだ。
◆加齢臭の閾値を下げたのが「臭」という文字。「臭」という言葉が不快という意識を呼び起こし、ことさら忌まわしいレッテルを貼ったということなのだ。しかもどうやら「ターゲット」は男性。どこかの化粧品メーカーの戦略が大当たりしたようにさえ思う。
◆遠い昔、燈りの暗かった頃、相手を確かめる手段の一つが嗅覚だったろう。つまり、本能なのだ。しかし、無臭がよいとされるご時世。これでは、この社会から「においの文化」そのものが失われていってしまいそうだ。
◆本当にそれでよいのだろうか。
◆コロナの症状に「においがわからない」というのがあった。非常に不気味な前ぶれとして扱われた。後遺症で悩まされているとも聞く。嗅覚は目や耳と同様に人として非常に大切な感覚なのだ。よく考える必要があると思う。
◆まだ二月なのに雨。今日の朝。外はどんな「かおり」なのだろう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分りも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
◆これは、読売歌壇での次の句への評だ。この句の作者は、岩間啓二さん。選者と評は小池光さんだ。
名がなくば 誰も意識はらぬものが この世にはある加齢臭など
◆「このように言葉が意識を呼び起こし、ことさら忌まわしいレッテルを貼るようになると、それまで意識の外だったものがしゃしゃり出て、余計な想像を駆り立ててさらに悲観的になってしまいます。」(多胡輝 100歳になっても脳を元気に動かす習慣術)
◆多胡輝さんは、「言葉が意識を呼び起こし、ことさら忌まわしいレッテルを貼る」ことを強く戒めている。そういえば「加齢臭」とは近年の言葉のようにも思える。きっと、何かをきっかけにして、閾値(しきいち)が下がってしまったのだ。
◆閾値【しきい値 / スレッショルド】とは、境界となる値。その値を境に、上下で意味や条件、判定などが異なるような値のことをいう。私が思うに加齢臭の「臭」という漢字が原因で、閾値が下がり、忌み嫌われるターゲットになってしまったと思う。
◆そもそも、加齢臭とはいかなるものであるのだろう
◆「加齢臭」は、50代半ば以降から、脂成分が酸化されることで発生する。胸や背中などの体幹部を中心に発生し、枯草のようなニオイが特徴だ。皮脂に含まれる脂肪酸「パルミトレイン酸」が増加し、空気中の酸素により皮脂が酸化され、ノネナールという成分に変化し「加齢臭」のニオイの成分なるのだそうだ。
◆誰にでも起こる「ニオイ」とすれば、これほど、めくじら立てて非難することでもないように思うが「臭い」とすると我慢できないもののように変わる。「言葉」の力は恐ろしい。
◆このように、嗅覚で感じられる“におい”の場合、よい“におい”は「匂い」、不快な“におい”は「臭い」と書く。しかし、“におい”は人によって快・不快の感じ方が違う。無理に漢字を使わず、ひらがな(場合によってはカタカナ)で書いてもよいのだ。そして、清潔志向の現代において「臭い」は最悪のレッテルだ。
◆加齢臭の閾値を下げたのが「臭」という文字。「臭」という言葉が不快という意識を呼び起こし、ことさら忌まわしいレッテルを貼ったということなのだ。しかもどうやら「ターゲット」は男性。どこかの化粧品メーカーの戦略が大当たりしたようにさえ思う。
◆遠い昔、燈りの暗かった頃、相手を確かめる手段の一つが嗅覚だったろう。つまり、本能なのだ。しかし、無臭がよいとされるご時世。これでは、この社会から「においの文化」そのものが失われていってしまいそうだ。
◆本当にそれでよいのだろうか。
◆コロナの症状に「においがわからない」というのがあった。非常に不気味な前ぶれとして扱われた。後遺症で悩まされているとも聞く。嗅覚は目や耳と同様に人として非常に大切な感覚なのだ。よく考える必要があると思う。
◆まだ二月なのに雨。今日の朝。外はどんな「かおり」なのだろう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分りも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
すてき
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