耕田院の日常(183回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年02月04日(土)
「正」=「一」+「止」だから、一度立ち止まって考えた答えが「正しい」という。本当にそうなのか本日は「止」を字源から考えてみる。
◆奇妙な光景であった。たぶん、新任教師の紹介や壮行式のような場面でのことだ。入場が「拍手」だけではなかった。「ドンドンドン」と「足踏み」が合わさる。1970年代の後半の母校の風景である。無言での「拍手」と「足踏み」だ。
◆こんなこともよくあった。生徒指導の先生が前に出ると後ろの上級生が声を出す。「シー」と。それに合わせて「シー」と。低い音で。まさか、全校の生徒がそのような失礼なことを致していたわけではないだろうが、初めてその光景に立ち会ったときは度肝を抜かれた。学校も面白がっていたかもしれない。一種のガス抜きのようなところもあったのだろう。当時、今頃の季節は、自ら命を絶つという話も一二度かあったと記憶する。
◆バンカラなところが残り、まだまだ「硬派」の時代。「軟派」なやつなどいなかったと思う。
◆さて、「止」である。
◆ずっと忘れていた。先ほどの「シー」については、漢字で書くと「死-」ではなく、「止」と書くのだとその頃聞いたような気がする。「権力への抗議」はけたたましく「シー」というのではない。低く、低く「止-」いうのだと。
◆この「止」は「とどまる」「とめる」「やめる」といった意味がある。象形文字で「立ち止まったとき」の足の形からきている。「止」は「足」の象形で、この場合「あるく」という意味になる。と言うことは「歩き回る」という意味も持っていたのだ。
◆この「止」という字に「一」を足すと「正」になる。もう一度立ち止まって、そして得た結論は「正しい」というようにお話で使われ、なるほど奥が深いと思っていたのだが…。
◆一応調べてみようかと思って「正」の字源を眺めていると「えっ」と思った。結論から言うと「正」は「征」と同等の意味なのだ。「征」は征服のように使う。自ら攻めていくことだ。
◆まず、「一」は「囗」を省略した文字である。「囗」とは城郭を意味し、この「止」という字に「一」を足すと「正」は「城郭+あるく」が意味になる。それは、「城郭に向かって進む」ということになるのだ。つまり「正」は町や城を「攻める」「進撃する」「征服する」という意味なのだ。
◆「正」しいとは攻め入ることをいうのだ。
◆同じく漢字の構成に「止」を持つ、武士の「武」はどうだろう。
◆「止」の上の部分に、武器を表す「戈(か)」を組み合わせてある。「戈(か)」とは矛のことだ。「矛を止める」というように考えられるが、「戈」を持って歩き回るとも取れる。白川静博士によれば「止」は、やはり歩む意でそこから、「武」は戈を背負って一歩前へ進む、という意味と説明されていたのだ。
◆本来「武」とは、「武器でもって、戦いを止めるという意味だ」と武器での「抑止」の説明に使われそうな字なのだが、そうではないのだ。「武」とは、武器を持って敵に攻め入ることをいう。あくまで、「力ずく」の「武」なのである。
◆「止」まるという字で誤魔化されてはいけないのだ。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」
◆奇妙な光景であった。たぶん、新任教師の紹介や壮行式のような場面でのことだ。入場が「拍手」だけではなかった。「ドンドンドン」と「足踏み」が合わさる。1970年代の後半の母校の風景である。無言での「拍手」と「足踏み」だ。
◆こんなこともよくあった。生徒指導の先生が前に出ると後ろの上級生が声を出す。「シー」と。それに合わせて「シー」と。低い音で。まさか、全校の生徒がそのような失礼なことを致していたわけではないだろうが、初めてその光景に立ち会ったときは度肝を抜かれた。学校も面白がっていたかもしれない。一種のガス抜きのようなところもあったのだろう。当時、今頃の季節は、自ら命を絶つという話も一二度かあったと記憶する。
◆バンカラなところが残り、まだまだ「硬派」の時代。「軟派」なやつなどいなかったと思う。
◆さて、「止」である。
◆ずっと忘れていた。先ほどの「シー」については、漢字で書くと「死-」ではなく、「止」と書くのだとその頃聞いたような気がする。「権力への抗議」はけたたましく「シー」というのではない。低く、低く「止-」いうのだと。
◆この「止」は「とどまる」「とめる」「やめる」といった意味がある。象形文字で「立ち止まったとき」の足の形からきている。「止」は「足」の象形で、この場合「あるく」という意味になる。と言うことは「歩き回る」という意味も持っていたのだ。
◆この「止」という字に「一」を足すと「正」になる。もう一度立ち止まって、そして得た結論は「正しい」というようにお話で使われ、なるほど奥が深いと思っていたのだが…。
◆一応調べてみようかと思って「正」の字源を眺めていると「えっ」と思った。結論から言うと「正」は「征」と同等の意味なのだ。「征」は征服のように使う。自ら攻めていくことだ。
◆まず、「一」は「囗」を省略した文字である。「囗」とは城郭を意味し、この「止」という字に「一」を足すと「正」は「城郭+あるく」が意味になる。それは、「城郭に向かって進む」ということになるのだ。つまり「正」は町や城を「攻める」「進撃する」「征服する」という意味なのだ。
◆「正」しいとは攻め入ることをいうのだ。
◆同じく漢字の構成に「止」を持つ、武士の「武」はどうだろう。
◆「止」の上の部分に、武器を表す「戈(か)」を組み合わせてある。「戈(か)」とは矛のことだ。「矛を止める」というように考えられるが、「戈」を持って歩き回るとも取れる。白川静博士によれば「止」は、やはり歩む意でそこから、「武」は戈を背負って一歩前へ進む、という意味と説明されていたのだ。
◆本来「武」とは、「武器でもって、戦いを止めるという意味だ」と武器での「抑止」の説明に使われそうな字なのだが、そうではないのだ。「武」とは、武器を持って敵に攻め入ることをいう。あくまで、「力ずく」の「武」なのである。
◆「止」まるという字で誤魔化されてはいけないのだ。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」
すてき
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