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耕田院の日常(172回目)山形県羽前大山駅

「逆説の10ヵ条」と「自利利他円満」

投稿日:2023年01月23日(月)
◆今朝は、「逆説の10ヵ条」と「自利利他円満」について考えてみたい。

◆相手のための行いを利他行(りたぎょう)と言う。菩薩の利他行は、相手のためだけではなく、本来、自利利他円満(じりりたえんまん)の行であると説かれている。皆が救われなければ、自分は救われないということだ。そして、お釈迦さまは「すべての物事は互いに関わり合い支え合って存在している」。だから、私たちはただ一人で生きているのではなく、多くの縁がつながり合い、その縁に支えられて生きている。皆をよくすることは自分をよくすることである。それが、幸せへの道であり、利他行の根幹である。

◆「それでもなお人を愛しなさい-人生に意味を見つけるための逆説の10ヵ条-」ケント・M・キース(大内博 訳)の「逆説の10ヵ条」をリールにポストしてきた。今朝6:30のPOSTは⑨⓾になる。さて「逆説の10ヵ条」は、利他の教えとぴったり重なるのだ。

◆作者のケント・M・キースは「世界がどんなに狂っていたとしても、人は人間としての意味を見つけることができる」、つまり、「逆説の10ヵ条を行うことで真の満足を得ることができる」というのだが、それはどのようなことなのであろうか。

◆まず、「逆説の10ヵ条」とは、「自分ごと」の富・権力・名声を人生の目的、意味とするのではない。ここでいう人生の意味とは、「人を愛すること」「良いことをすること」「 正直であること」「大きな考えを抱くこと」「弱者のために戦うこと」「気づくこと」「他人を助けること」「世の中のために最善を尽くすこと」。それらによって意味が得られるという。言葉をかえれば、人生の意味とは人生の意義のことであろうか。そして、その意味・意義は自分の外・他に目をやることによって達成することができるというのである。

◆この意味を説明するためにケント・M・キースは一つの詩を紹介している。
エミリー・ディキンソンである。
※彼女は詩に題をつけなかったらしい

一つの心が壊れるのを 止めることができたなら
私の人生は無駄ではない
一つの生命の痛みを和らげることができたなら
一つの苦悩を覚ますことができたなら
気絶した一羽のコマドリを
巣に戻してあげることができたなら
私の人生は無駄ではない

◆ささやかな方法であれ、大掛かりな方法であれ、他の人に手を差し伸べる時に、自分の人生は無駄ではないということが理解できるというのだ。他の人の人生に「違い」を起こすことによって、あなた自身の人生に「意味」が与えられるのだ。まさに自利利他円満・利他の心である。

◆自利利他円満とは、自分が幸せになることが他人の幸せにもつながり、他人の幸せを自分の幸せと同じと思える心である。あの人の笑顔がわたしの笑顔なのである。

◆瀬戸内寂聴さんは、次のようにいう。

人間は、幸せになるためにこの世に送り出されてきたのだと思います。そして幸せとは自分だけが満ち足りることではなくて、自分以外の誰かを幸せにすることだと考えてください。

あなたがこの世に生きて送り出されたのは、誰かを幸せにするためなんですよ。

◆その通りだ。自分自身にだけ向けられた眼を、あなたの周りににも向けることで、人は一つ自利利他円満に近づくのだ。

◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
耕田院(山形県)

すてき

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