耕田院の日常(170回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2023年01月21日(土)
◆1976年の歌である。
緑のインクで手紙を書けば
それはサヨナラの合図になると誰かが言ってた
女はおろかでかわいくて
恋にすべてを賭けられるのに
秋だというのに恋もできない
メランコリーメランコリー
作詞は喜多條忠、作曲はかの吉田拓郎だ。梓みちよの代表曲。
「メランコリー」という言葉をこの時初めて知った。
◆さて、もう十年以上も前から「老人性メランコリー」という言葉があるそうだ。
◆急に声をかけにくくなった人がいる。人との「かかわり」を急に閉じて、近寄りがたい雰囲気だ。周りの人は、道で会っても挨拶しなくなったとか「町内の役割」を断られたとか取り付く島もないとか。決まって「前は、元気よく、真面目な…」な先輩方だ。
◆若いうちには、あまりかからないが、年とともに危なくなり、老いが忍び寄り、老を意識したころに忽然と現れる。これを「老人性メランコリー病」というらしい。
◆かつては、「老人性メランコリー」は、病気と認識されていなかった。しかし、現代ではうつ病に見られる意欲の障害なのだとか。その病状は「やる気がおこらない」「気力が減退している」「意欲が湧いてこない」「何をやっても面白くない」「何もやりたくない」などと表現される症状で、一言でいうと「億劫」。
◆初期段階では、「何もかも億劫」ではなく、今日、明日、明後日くらいのことが、急に億劫になるのだそうだ。「えっ?」そこまで聞いて、私も無縁ではない、思い当たる節がある。
◆私の場合で言えば、期限が明日の図書館への本の返却。家人と約束していた映画。2ヶ月前から予約を入れている眼科の診断、それから…。ちょっと出かければ、午前中いっぱいで終わることである。実は、図書館でも借りたい本もあるし、映画も事前の下調べもし、ずいぶん楽しみにしていたはずだ。全て、身支度をして、時間に合わせて出かければいいだけなのであるがそうはいかない。突然「億劫」になる。例えるなら、新型コロナのワクチンをうったあとの数日のように全身がだるい感じで、気が重いのだ。私もいよいよ「老人性メランコリー病」か。
◆この症状がひどくなると、本を読む、仕事をする、家事をするといった「当たり前」なことに対する意欲が湧いてこないばかりではなく、何もかもが、「しんどく」なってくるそうだ。ベッドから起きること、ご飯を食べること、入浴や着替えをすることもだ。何の苦痛を感じることもなく行っていた日常の事柄が「億劫になり、やがてできなく」になっていくのだ。
◆多湖輝(たごあきら)さんという、「頭の体操シリーズ」で高名な心理学者は、この「老人性メランコリー」「億劫」も脳と習慣の問題だとしている。(「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」)
◆「老人性メランコリー」を撃退する術として、「くよくよ」はボケ、「あれこれ」はボケない。「ジョギングより散歩」が頭には効くなど「術」の紹介の中に「キョウヨウ」と「キョウイク」がある。もちろん「教養」と「教育」ではない。「今日用がある」と「今日行く所がある」だ。つまり、「ボケないための脳」には、そのような習慣を心がけることが大事なのだ。
◆とりあえず億劫とは、老人性の「ボケ」であることをまず認識しなければならない。そして、自らを鼓舞し、「教養」と「教育」を怠ってはならないということなのだ。
◆私が中学生時代には、すでに「多湖輝のホイホイ勉強術」なる本があった。そこには、1週間のうち 学習が一番捗るのは「火曜日」。だから、週の学習計画は、火曜日中心に立てるべし。またテストで、「AかBか」で悩んだ時は最初に浮かんだ解答が正しいことが多いから、訂正してはダメ…ずいぶんお世話になったものだ。
◆それにしても、60過ぎてまたまた多湖先生のお世話になるとは…。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
緑のインクで手紙を書けば
それはサヨナラの合図になると誰かが言ってた
女はおろかでかわいくて
恋にすべてを賭けられるのに
秋だというのに恋もできない
メランコリーメランコリー
作詞は喜多條忠、作曲はかの吉田拓郎だ。梓みちよの代表曲。
「メランコリー」という言葉をこの時初めて知った。
◆さて、もう十年以上も前から「老人性メランコリー」という言葉があるそうだ。
◆急に声をかけにくくなった人がいる。人との「かかわり」を急に閉じて、近寄りがたい雰囲気だ。周りの人は、道で会っても挨拶しなくなったとか「町内の役割」を断られたとか取り付く島もないとか。決まって「前は、元気よく、真面目な…」な先輩方だ。
◆若いうちには、あまりかからないが、年とともに危なくなり、老いが忍び寄り、老を意識したころに忽然と現れる。これを「老人性メランコリー病」というらしい。
◆かつては、「老人性メランコリー」は、病気と認識されていなかった。しかし、現代ではうつ病に見られる意欲の障害なのだとか。その病状は「やる気がおこらない」「気力が減退している」「意欲が湧いてこない」「何をやっても面白くない」「何もやりたくない」などと表現される症状で、一言でいうと「億劫」。
◆初期段階では、「何もかも億劫」ではなく、今日、明日、明後日くらいのことが、急に億劫になるのだそうだ。「えっ?」そこまで聞いて、私も無縁ではない、思い当たる節がある。
◆私の場合で言えば、期限が明日の図書館への本の返却。家人と約束していた映画。2ヶ月前から予約を入れている眼科の診断、それから…。ちょっと出かければ、午前中いっぱいで終わることである。実は、図書館でも借りたい本もあるし、映画も事前の下調べもし、ずいぶん楽しみにしていたはずだ。全て、身支度をして、時間に合わせて出かければいいだけなのであるがそうはいかない。突然「億劫」になる。例えるなら、新型コロナのワクチンをうったあとの数日のように全身がだるい感じで、気が重いのだ。私もいよいよ「老人性メランコリー病」か。
◆この症状がひどくなると、本を読む、仕事をする、家事をするといった「当たり前」なことに対する意欲が湧いてこないばかりではなく、何もかもが、「しんどく」なってくるそうだ。ベッドから起きること、ご飯を食べること、入浴や着替えをすることもだ。何の苦痛を感じることもなく行っていた日常の事柄が「億劫になり、やがてできなく」になっていくのだ。
◆多湖輝(たごあきら)さんという、「頭の体操シリーズ」で高名な心理学者は、この「老人性メランコリー」「億劫」も脳と習慣の問題だとしている。(「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」)
◆「老人性メランコリー」を撃退する術として、「くよくよ」はボケ、「あれこれ」はボケない。「ジョギングより散歩」が頭には効くなど「術」の紹介の中に「キョウヨウ」と「キョウイク」がある。もちろん「教養」と「教育」ではない。「今日用がある」と「今日行く所がある」だ。つまり、「ボケないための脳」には、そのような習慣を心がけることが大事なのだ。
◆とりあえず億劫とは、老人性の「ボケ」であることをまず認識しなければならない。そして、自らを鼓舞し、「教養」と「教育」を怠ってはならないということなのだ。
◆私が中学生時代には、すでに「多湖輝のホイホイ勉強術」なる本があった。そこには、1週間のうち 学習が一番捗るのは「火曜日」。だから、週の学習計画は、火曜日中心に立てるべし。またテストで、「AかBか」で悩んだ時は最初に浮かんだ解答が正しいことが多いから、訂正してはダメ…ずいぶんお世話になったものだ。
◆それにしても、60過ぎてまたまた多湖先生のお世話になるとは…。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
すてき
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住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。