耕田院の日常(157回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2023年01月07日(土)
◆「おしゃれの女は、掃除が下手と見て、だいたいまちがいない」瀬戸内寂聴さんのことばだ。「愛の倫理』、瀬戸内晴美(寂聴)角川書店 外面ばかりに目がいき、内面が疎かになるという意味だ。
◆以前、松原泰道老師は、「姿と心を調える-もう一人の自分の発見-」(観音経入門)というお話の中で「鏡を見るのは鏡に見られることである。仏を拝むのは、仏に拝まれることである」とお説きになっていた。あなたが観音さまを拝んだ時に、観音さまもまた、あなたを拝みかえす。あなたが観音さまを拝む時、観音さまは「あなたのかけがえのないこころ」外面ではなく内面に問いかけ、励ましているのであると松原老師は強調する。
◆観音さまの目の前にいる「あなた」とは、実は「鏡」に映るあなたの内面なのである。観音さまに見えるのは、鏡に映るあなたなのだ。だから、時には、鏡の前に立ち、内面を調えなければならない。
◆つまり、鏡に映すとは自分の状態を見、時には自らを励まし、時には自らを戒める観音さまの声を聞くことなのである。これが、松原老師の「鏡を見るのは鏡に見られることである」の意味である。
◆しかし、汚れた鏡には、いつになっても「観音さまのこころ」は映らない。だから、鏡も心の鏡もいつもでも磨いておかねばならない。
◆禅の言葉に「時時勤払拭」(じじに つとめて ふっしきせよ)ということばがある。鏡につくほこりも心の鏡につくほこりも毎日払わねばならないということだ。つまり、チリもほこりも毎日溜まる。毎日はらわなければ、鏡も心の鏡も曇る。毎日怠らず丁寧に掃除(払拭)していれば、汚れは簡単に落ちる。これが道理だ。
※払拭=払ったりぬぐったりしたように、すっかり取り除き消し去ること。掃除すること
◆だから、鏡を磨くこと、部屋を掃除すること、庭を掃くこと、丁寧に磨くこと、塵ひとつ落ちていないように心を配ることが心の鏡を磨くことでもある。自分自身の本来の仏の心を曇らせないことなのである。
◆しかし、丁寧な掃除や整理整頓、この当たり前のことがなかなかできない。“面倒くさい”“今日ぐらいはいいだろう”という気持ちが、突然心に雑草が生えるようにやってくる。しかし、毎日怠らずやり続けることに意味がある。心の鏡こそ曇ってしまっては思わぬ災いの種となる。
◆薫習(くんじゅう)という大切な言葉がある。香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、自らの行為が、心に習慣となって残ること。すべての行為は体に記憶されるという意味なのだが、言葉をかえれば正しい行為が己を作るということだ。怠らず掃除をするのは心を磨くこと。即ち修行ということだ。
◆道元(どうげん)禅師のお言葉に「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)」とある。これも、「心の鏡に照らした日常生活の立ち居振る舞いが人間の人格を作る基礎になる」という教えなのだ。
◆以前、松原泰道老師は、「姿と心を調える-もう一人の自分の発見-」(観音経入門)というお話の中で「鏡を見るのは鏡に見られることである。仏を拝むのは、仏に拝まれることである」とお説きになっていた。あなたが観音さまを拝んだ時に、観音さまもまた、あなたを拝みかえす。あなたが観音さまを拝む時、観音さまは「あなたのかけがえのないこころ」外面ではなく内面に問いかけ、励ましているのであると松原老師は強調する。
◆観音さまの目の前にいる「あなた」とは、実は「鏡」に映るあなたの内面なのである。観音さまに見えるのは、鏡に映るあなたなのだ。だから、時には、鏡の前に立ち、内面を調えなければならない。
◆つまり、鏡に映すとは自分の状態を見、時には自らを励まし、時には自らを戒める観音さまの声を聞くことなのである。これが、松原老師の「鏡を見るのは鏡に見られることである」の意味である。
◆しかし、汚れた鏡には、いつになっても「観音さまのこころ」は映らない。だから、鏡も心の鏡もいつもでも磨いておかねばならない。
◆禅の言葉に「時時勤払拭」(じじに つとめて ふっしきせよ)ということばがある。鏡につくほこりも心の鏡につくほこりも毎日払わねばならないということだ。つまり、チリもほこりも毎日溜まる。毎日はらわなければ、鏡も心の鏡も曇る。毎日怠らず丁寧に掃除(払拭)していれば、汚れは簡単に落ちる。これが道理だ。
※払拭=払ったりぬぐったりしたように、すっかり取り除き消し去ること。掃除すること
◆だから、鏡を磨くこと、部屋を掃除すること、庭を掃くこと、丁寧に磨くこと、塵ひとつ落ちていないように心を配ることが心の鏡を磨くことでもある。自分自身の本来の仏の心を曇らせないことなのである。
◆しかし、丁寧な掃除や整理整頓、この当たり前のことがなかなかできない。“面倒くさい”“今日ぐらいはいいだろう”という気持ちが、突然心に雑草が生えるようにやってくる。しかし、毎日怠らずやり続けることに意味がある。心の鏡こそ曇ってしまっては思わぬ災いの種となる。
◆薫習(くんじゅう)という大切な言葉がある。香が物にその香りを移して、いつまでも残るように、自らの行為が、心に習慣となって残ること。すべての行為は体に記憶されるという意味なのだが、言葉をかえれば正しい行為が己を作るということだ。怠らず掃除をするのは心を磨くこと。即ち修行ということだ。
◆道元(どうげん)禅師のお言葉に「威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)」とある。これも、「心の鏡に照らした日常生活の立ち居振る舞いが人間の人格を作る基礎になる」という教えなのだ。
すてき
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