耕田院の日常(133回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2022年12月13日(火)
◆次の言葉をご存知だろうか。
◆世界は進むだけ進み、その間に幾度も、幾度も闘争を繰り返すだろう。そしてその闘争に疲れ果てる時が来る。その時、世界人類は平和を求め、そのための世界盟主が必要になる。その盟主とはアジアに始まってアジアに帰る。そしてアジアの最高峰、日本に立ち返らなければならない。我々は神に感謝する、天が我々人類に日本という国を作ってくれたことを 。
◆1922年 アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)博士が 日本に40日間滞在して残した言葉である。
◆やや大袈裟ではあるが、100年前に 西洋の偉大な科学者が東洋とりわけ日本の高い精神性に期待していたことが伝わってくる。
◆ドイツ大使館は外壁には、「来日100周年記念 –アインシュタインの日本講演旅行- 100 Jahre Einstein-Reise in Japan」と題してウォールマンガ・アーティストの内田慎之介さんが描いた7枚の絵を展示されているそうだ。
※ドイツ大使館ネコのきまぐれブログ https://young-germany.jp/2022/01/壁でふりかえるアインシュタインの日本旅行/
◆「西洋の偉大な科学者が東洋とりわけ日本の高い精神性に期待」とはどのようなことに期待したのだろうか。たぶんそれは、私たちが忘れたり、失ったりしているものなのかもしれない。ドイツ大使館のウォールマンガには、アインシュタイン博士と交流があった日本人が描かれている。
◆まず、一人目は、当時ベルリンに留学していた「スズキ・メソード」で有名な鈴木鎮一氏である。アインシュタイン博士が、日本人を知るきっかけとなった人物といわれている。
◆二人目はアインシュタイン博士が来日途中の船上で腹痛を起こし、その時に診察したことがきっかけで知り合った医師の三宅速(はやり)博士。博士は、特に胆石症の研究で世界的権威であった。大正11年欧米留学の帰途だった。
◆ドイツ大使館の晩餐会よりも心地よかったという送別会を開いた山本実彦(さねひこ)氏。
アインシュタイン博士を招いた出版社「改造社」の創業者。高価だった本をより安価に大衆に向けて出版した。「一冊一円の本をだそう」がスローガン。そのためには量(冊数)を売ろうと考えたのだ。逆転の発想。出版業界の先駆けだ。のちに政治家に転身した。
◆三人に共通するのは「利他の精神」だ。鈴木鎮一氏は世界的な音楽教育。三宅速博士は世界的な医学の権威。山本実彦氏は出版業とのちには政治家として治水工事に尽力している。
◆この三人中でアインシュタイン博士ともっとも交流が深かったのは、鈴木鎮一氏。彼は、幼い頃から音楽教育の先駆者で「スズキ・メソード」の創始者だ。現在も46カ国にあるスズキセンターで40万人の子供たちが音楽を学んでいる。たとえば、さだまさしさん 葉加瀬太郎さん 久石譲さん ヨーヨーマさんといった、有名な音楽家もスズキ・メソード出身だとか。
◆彼の教育の目的は音楽の上達だけではなく…音楽を習得しながら、心を豊かにし、自信をつけ、素晴らしい人間性を育むこと。いわゆる安っぽい「ハウツウ」教育ではない。
◆その教育方針は、能力は育てるものであり、生まれつきではない。非才を嘆くは愚かであり、とにかく「くり返し、くり返せ」しかし、「急ぐな」そして「休むな」という教育理念なのだ。現代に横行する要領のいい「ハウツウ」とは真逆の教育法である。
◆「能力は育てるもの」であり、「非才を嘆くは愚か」だ。とにかく「くり返し、くり返せ」「急ぐな」そして「休むな」という言葉は、世界を震撼させたワールドカップの三笘薫選手や野球の大谷選手に通じる。「世界と勝負する」気概だ。それが当時の日本にあったのではないかと思う。それがアインシュタイン博士の見た精神性の一つだったのではないかと思う。
◆アインシュタイン博士は、「幾度も闘争を繰り返すだろう」と予言している。正直にいう。私は、21世紀は、世界は人類同士の闘争の時代から脱却しつつあると思っていた。その証拠がSDGsだと思っていた。しかし、それは全くもって違った。北の国で戦争が起こり、「世界も日本も闘争」に疲れ果ててきている。日々の暮らしへの影響が出てきている
◆もう一度考えたい。日本の高い精神性とは何か。いったい何ができるのであろうか。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
◆世界は進むだけ進み、その間に幾度も、幾度も闘争を繰り返すだろう。そしてその闘争に疲れ果てる時が来る。その時、世界人類は平和を求め、そのための世界盟主が必要になる。その盟主とはアジアに始まってアジアに帰る。そしてアジアの最高峰、日本に立ち返らなければならない。我々は神に感謝する、天が我々人類に日本という国を作ってくれたことを 。
◆1922年 アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)博士が 日本に40日間滞在して残した言葉である。
◆やや大袈裟ではあるが、100年前に 西洋の偉大な科学者が東洋とりわけ日本の高い精神性に期待していたことが伝わってくる。
◆ドイツ大使館は外壁には、「来日100周年記念 –アインシュタインの日本講演旅行- 100 Jahre Einstein-Reise in Japan」と題してウォールマンガ・アーティストの内田慎之介さんが描いた7枚の絵を展示されているそうだ。
※ドイツ大使館ネコのきまぐれブログ https://young-germany.jp/2022/01/壁でふりかえるアインシュタインの日本旅行/
◆「西洋の偉大な科学者が東洋とりわけ日本の高い精神性に期待」とはどのようなことに期待したのだろうか。たぶんそれは、私たちが忘れたり、失ったりしているものなのかもしれない。ドイツ大使館のウォールマンガには、アインシュタイン博士と交流があった日本人が描かれている。
◆まず、一人目は、当時ベルリンに留学していた「スズキ・メソード」で有名な鈴木鎮一氏である。アインシュタイン博士が、日本人を知るきっかけとなった人物といわれている。
◆二人目はアインシュタイン博士が来日途中の船上で腹痛を起こし、その時に診察したことがきっかけで知り合った医師の三宅速(はやり)博士。博士は、特に胆石症の研究で世界的権威であった。大正11年欧米留学の帰途だった。
◆ドイツ大使館の晩餐会よりも心地よかったという送別会を開いた山本実彦(さねひこ)氏。
アインシュタイン博士を招いた出版社「改造社」の創業者。高価だった本をより安価に大衆に向けて出版した。「一冊一円の本をだそう」がスローガン。そのためには量(冊数)を売ろうと考えたのだ。逆転の発想。出版業界の先駆けだ。のちに政治家に転身した。
◆三人に共通するのは「利他の精神」だ。鈴木鎮一氏は世界的な音楽教育。三宅速博士は世界的な医学の権威。山本実彦氏は出版業とのちには政治家として治水工事に尽力している。
◆この三人中でアインシュタイン博士ともっとも交流が深かったのは、鈴木鎮一氏。彼は、幼い頃から音楽教育の先駆者で「スズキ・メソード」の創始者だ。現在も46カ国にあるスズキセンターで40万人の子供たちが音楽を学んでいる。たとえば、さだまさしさん 葉加瀬太郎さん 久石譲さん ヨーヨーマさんといった、有名な音楽家もスズキ・メソード出身だとか。
◆彼の教育の目的は音楽の上達だけではなく…音楽を習得しながら、心を豊かにし、自信をつけ、素晴らしい人間性を育むこと。いわゆる安っぽい「ハウツウ」教育ではない。
◆その教育方針は、能力は育てるものであり、生まれつきではない。非才を嘆くは愚かであり、とにかく「くり返し、くり返せ」しかし、「急ぐな」そして「休むな」という教育理念なのだ。現代に横行する要領のいい「ハウツウ」とは真逆の教育法である。
◆「能力は育てるもの」であり、「非才を嘆くは愚か」だ。とにかく「くり返し、くり返せ」「急ぐな」そして「休むな」という言葉は、世界を震撼させたワールドカップの三笘薫選手や野球の大谷選手に通じる。「世界と勝負する」気概だ。それが当時の日本にあったのではないかと思う。それがアインシュタイン博士の見た精神性の一つだったのではないかと思う。
◆アインシュタイン博士は、「幾度も闘争を繰り返すだろう」と予言している。正直にいう。私は、21世紀は、世界は人類同士の闘争の時代から脱却しつつあると思っていた。その証拠がSDGsだと思っていた。しかし、それは全くもって違った。北の国で戦争が起こり、「世界も日本も闘争」に疲れ果ててきている。日々の暮らしへの影響が出てきている
◆もう一度考えたい。日本の高い精神性とは何か。いったい何ができるのであろうか。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
すてき
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